追憶の救世主

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第3章 「伝説の店」

5.

 シズクの買い物は意外と短時間で終わっていた。リースとノートルが話し終えた後、彼らが会計所の方へ戻ってみると、そこには幾つか道具を抱えた彼女が佇んでいたのだ。
 さっきから呼んでるのに、気づいてよ! と頬を膨らませて怒る彼女に、ノートルは苦笑いと共に『2割引き』という条件を突きつけてやった。もちろん、シズクはその後すぐにころっと機嫌をとり戻す事になる。

 「それにしても……さっきは驚いて言いそびれたが、見違えたなシズク。学校が用意してくれたんだろう?」
 商品を一つ一つ計算しながら、ノートルはまずシズクの身なりを褒めた。
 彼の言葉に、シズクはまんざらでもない様子で、少し照れて笑う。
 「ナーリアの見立てだって。いい服でしょう」
 どうやらノートルはナーリアとも顔見知りだったらしい。さすがあの子はセンスが良い、とまるで実の娘を褒めるような口調で一言漏らした。
 確かにいい服だ、とリースも思う。シズクという人間に、ぴったりとはまっているからだ。黒ローブを着た彼女もずいぶん魔道士らしく見えたものだったが、やはり魔道士としての格好をしている今が一番魔道士らしい。もっとも、彼女は見習いなのだが。それに、こんな事を本人に言ったら付け上がるだけなので絶対に言わないのだが。
 「お前さんがうちに来るって言ったらいっつも例の当番の時だけだったもんなぁ。それが……立派になったもんだよ」
 「当番?」
 横でただ話を聞いているだけだったリースが、ノートルの言葉尻を捕らえて急に口を開いた。
 「ん? 兄ちゃん、シズクから聞いていないのかい?」
 感極まると言った表情を崩して、意外そうにノートルが言った。
 リースの視線は、自然とシズクの方へと向かう。シズクはというと、いくらか引きつった表情を顔の表面に貼り付けていた。

 そうだった。

 今まではぐらかされるばかりで、最初にして最大の疑問ともいえるものを解決していなかったのだ。シズクが昨日、菜の花通りにいた理由。そして『当番』の意味。
 「あぁぁ、おっちゃんストップ!」
 「こいつが所属している魔法学校があるだろう? あそこの生徒は原則として、許可がねぇと外出は出来ない事になっている」
 シズクが焦って制止の声を上げたが、それをわざと無視してノートルは言葉を続ける。それだけでなく、リースに白い歯を見せてニッと笑うとウィンクしてみせた。リースにしても、今までずっと不思議に思っていた事だったので、シズクの味方になるはずもない。しめたとばかりに彼の話を聞く態勢に入っていた。
 「もちろん学校の中には、売店だとか商店街だとか、そういった気の利いたもんはねぇ。まぁ食堂はあるみたいだけどな。これがどういうことか分かるか?」
 ノートルの衣服を引っ張ったり揺すったりして、何とか会話を中断させようとするシズクをリースはとりあえず無視する事にする。一瞬だけ、生あるものを射殺しそうなシズクの目線とぶつかったが、これも無視する事に決めた。やはり知りたいもんは知りたいのである。
 そう結論付けると、ノートルの質問にリースはわからないと答える代わりに首を横に振った。
 「つまりな、娯楽がねぇんだ。それに年頃のガキが欲しがるような、間食用の『菓子』が無い!」
 「へ?」
 いきなり話が思わぬ方向へと飛んだので、思わずリースは間抜けな声を上げてしまった。

 ――菓子ぃ?

 飴玉やらチョコレートやらの?
 他にも「かし」という意味を持つものが無いか頭の中をフル回転させて考えてみたが、やはり菓子と言えばその菓子しか出てこない。いや、しかしそれって……
 「おいおい兄ちゃん。菓子が無いってのは意外と辛いもんだぜ? ちょっとしたティータイム、口が寂しい時、そして嫌な事があってやけ食いしてぇ時。菓子が無いってのは、死ぬほどに辛い!」
 「……はぁ」
 菓子の重要性について力説するノートルに、リースは眉根を寄せながらもとりあえず頷いておいた。
 リース自身は、甘いものが特別好きという訳ではない。嫌いではないのだが。それに、菓子の類もほとんど食べないので、その気持ちはあまりよく分からない。
 アリスならば、お茶菓子だの何だのと言ってしょっちゅう買っているから、もしかしたら彼の話に頷くかもしれない。そう思い姿を探してみたが、アリスは店の奥の方の棚に目を奪われており、こちらには気が行っていないようだった。
 「だからだな。いつの頃からか……この店の何代も前かららしいな。時々教官の目を盗んでは町に繰り出し、欲しいものを調達する生徒が出始めたんだ」
 「……………」
 なんとなく先が読めたので、ノートルに向けていた視線を再びシズクに送ってみた。彼女は予想通り、いかにも決まりが悪いといった表情でこちらを見ている。
 「要領のいい生徒は、仲間内でローテーションを組んで当番制を作る。そんで当番になったヤツに菓子だの何だのを買ってこさせるって訳よ。シズク達のグループは、専らウチの店を利用してたけどな」
 そう言って、ノートルは豪快に笑い声を上げた。これにはさすがに何事かと、アリスとセイラもこちらに視線を向けていた。
 「……なぁ」
 「なによ」
 それまで黙っていたリースが、シズクの方を向いて声を漏らした。かなり呆れの篭った目で、
 「本っっっっっ当に、しょーもねーな」
 「うるっさいわね! だから言ったでしょう! 大した用事じゃないって」
 「いやまさか、ここまで大した用事じゃないとは思ってなかった」
 言って、ため息を一つ。普通なら、大した事無いと言っておきながら実はかなり重要な事であるのが定石なのだ。それが、本当に大した事なかったとは……。
 つまりあれだ、シズク達は何人かで当番を組んで、菓子やその他日用品を順番に町へ買いに来ていたのだ。もちろん教官の目を盗んで。昨日ナーリアが彼女を追っていたのは、シズクが抜け出した事に気づいて連れ戻そうとしていたからだろう。
 「そのしょーもない用事のせいでここまで巻き込まれたんだから、お前って相当運が悪いよな」
 「ぐ……」
 言っている事が的を射てしまっているので、シズクに反論の余地は無い。口ごもると、ふて腐れ気味に頬を膨らませた。そういうことをすると妙に様になっていて、元々幼い顔立ちが余計に幼く見える。もっとも、これは彼女には言わないほうが身のためだろう。
 「はははは! まぁいいじゃねぇか! 旅立つ事は悪くねぇ。心も体も鍛えられて成長も出来るさ。それにほれ。お前さんに餞別だ」
 豪快に笑うと、ノートルはその太い右腕でシズクに向かって何かを放り投げた。
 「え? 何?」
 突然大きな物を投げられてひるんだが、シズクはなんとかそれを上手くキャッチする。
 それは、なにやら高価そうな布でくるまれた大き目の包みだった。
 「……軽い?」
 見た目に反して軽かったようだ。シズクはほっとしたようにそう呟いた。
 リースも一体なんだろうと、興味深そうに包みに目をやる。
 「それでまぁ、機嫌直せや」
 「これは?」
 ぱっと見ただけでは、周りに巻かれた布のせいで何だか分からない。ノートルに瞳で促されて、シズクが布をゆっくりと剥ぎ取って行くと、
 「これって……!」
 姿を現した物に、シズクとリースは目を丸くする。
 シズクの手中に収まった物。それは、折りたたみ式の棒だったのだ。
 「魔法だけじゃ心もとねぇ。危ないときは魔道士もその身で戦うのよ!」
 そう言ってノートルは自慢の右腕を持ち上げて、力こぶを作る姿勢をとる。それがかなりさまになっているので、シズクとリースは思わず噴き出してしまった。やはりこの人が魔道士である事など、信じられない。一度、彼が魔法を使っているところを見せてもらいたい物だとリースは思った。
 「品は保障するぜ? この店で10本の指には入る。その昔、高名な女魔道士が使用したとされる一級品だ」
 「確かにいい品だな」
 棒を覗き込みながら、感心したようにリースも言う。
 細やかな模様が所々に施されており、上品なつくりだった。ノートルの話し振りからして古い代物なのだろうが、そんな事など微塵も感じさせられない。まるで新品同様で、大きな傷など全く見受けられなかった。見た目からでも分かる。素材はおそらく普通の木や石などではないだろう。特別な魔法のこもった材質――セイラの杖と同じ類のものだ。女魔道士云々の信憑性はともかく、一級品であることには間違いがなさそうだった。
 「でもわたし、そんなにお金持たされてないんだけど……」
 「餞別だって言っただろう? 棒術が出来る魔道士ってのは実はそう多く無くてな。なかなか売れねえのよ。どうせ売り物にならねえなら、誰かに使ってもらうのが一番だ」
 そうだろう? と念押ししてから、ノートルは丈夫そうな白い歯を見せて笑った。不安な表情を浮かべていたシズクもそれを聞いて満面の笑顔になる。
 「ありがとう! 棒って荷物になるから、買おうかどうか迷ってたの。これだと折りたたみだから荷物にならないし、丁度良かった」
 嬉しそうに折りたたまれた棒を持つと、シズクはそれを一本の棒へと組み立ててみる。すぐに使用できるように、振るだけで一本になるつくりになっているようだ。
 「一応銘もあるぞ。『光の雫』――お前さんが持つのに、なんだか丁度いい名だろう? シズク」
 なんでも、光神の力の篭った石を原料にした代物だそうだ。もっとも、光神は神殿も由来する国も無く謎の多い神であるので、信憑性については本当になんとも言えない。とノートルは言った。彼がなんとも言えないと言う程だから、本当に途方も無い一品なのだろう。へぇと息を漏らすと、リースはシズクの持つ棒へと再び視線を移した。
 かすかに白味を帯びた美しい棒。
 セイラの杖は水神の力を込めてあるので青みがかっているそうだ。だからこの棒の白い色もそういう力を込めた色なのだろうか。側にいるだけで、何か暖かいものがこちらに流れてくるような気がする。これもセイラの杖と一緒だった。
 「とにかく、道中いろいろあるだろうが気をつけてな。そんでまた戻ったら、元気な姿を見せに来てくれや」
 少しだけ心配を含んだ顔で、ノートルは優しく言った。まるで娘を心配する父親のような響きに、シズクはハッとしたように顔を上げた。もう少しで涙が出そうという所で、必死でこらえているのが分かる。
 「……うん。ありがとう、気をつけて行って来るよ」
 涙の代わりに満面の笑みを浮かべるシズクを、ノートルは眩しそうに見つめていた。



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