追憶の救世主

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第4章 「乙女の消える町」

2.

 『(いち)炎々(えんえん)!!』

 早口の詠唱が終了した後で、アリスの凛とした声が響き渡ると、同時に彼女の杖の先から真っ赤な炎の玉が出現した。
 瞬間、彼女の周囲に猛烈な熱波が発生する。じりっと。空気が一瞬揺らいだ。極限まで炎の勢いが増したのを確認すると、アリスは杖を一振りする。熱波がその範囲を増したと同時に、火の玉は彼女の杖を離れ、飛び出した。玉はそのまま、アリスの指示に従って踊るように宙を掛けると、

 ――ッダァン!!

 やがて前方の一点――魔物たちの周りで激しく弾けた。その衝撃で、今度は激しい熱風がアリスたちの周りに吹き荒れる。シズクは、顔の表面がじりじりと熱くなっていくのを感じていた。
 ごうごうと吹く風の隙間から魔物の断末魔の叫びだけが響くと、次の瞬間にはそこには何も残ってはいなかった。焼け焦げた亡骸はもちろん、灰も。かすかに漂う草木が焦げた臭い以外は、何もかも。
 「――やっぱり」
 戦闘が終わった森にはいつもの日常が戻ってくる。空は青く晴れ渡り、鳥のさえずりが耳に届き始める。のどかな風景が広がっていたが、しかしそこにたたずむアリスの表情は暗かった。
 「また例の襲撃かよ。ったく、今日で何回目だ?」
 「これも含めて4回目ですね」
 剣をさやに収め、イラついた調子で言ったリースの背後から、のんびりとセイラが言う。その声で、リースあっと思い出したような表情をすると、セイラに食って掛かる。
 「セイラ、あんたまた傍観者決め込んで隠れてただろ! ちょっとは手伝ってくれよ」
 戦闘の間中、セイラはまたいつものように何にも手伝ってはくれなかったのだ。今です。とか、そこです。とか援護とはおおよそ言いがたい声が耳に届いていただけで、全く戦おうとしない。しかしセイラは、リースの剣幕に動揺もせず、
 「言ったでしょう? 僕は回復係なんですってば。それに、あなた達は強いんですから、援助が無くてもすぐに片付けてしまうじゃないですか」
 呆れ顔のリースに向かって、余裕たっぷりの笑顔で言う。その表情にリースは一層顔の表情を険しくするが、彼と口論したところでただの時間の無駄だと分かっている。ため息を一つついただけで、もう何も言わなかった。
 「本当は私よりも攻撃の術が得意でも、ただ単に面倒という理由だけで回復役に徹しているんですよね? しかも私たちが滅多に負傷しないものだから、事実上何もしないでいられる。おいしいポジションですね、師匠」
 「いやだなぁ人聞きの悪い。かわいい弟子には旅をさせろって言うじゃないですか」
 「アリスはともかく、俺はあんたの弟子でも何でもないけどな」
 表情はあくまで笑顔で、しかし内面には激しい呆れを含んだアリスの言葉にもセイラは動じない。リースの台詞に至っては、はどうやら黙殺する方向に決めたようだ。
 シズクはというと、そんな3人の攻防を上の空で眺めているだけだった。上空を仰ぐと、木々の梢の間から青々とした空と柔らかそうな綿雲が顔を覗かせていた。
 (何にもできないもんなんだな……)
 予想はしていた事だけれども。

 オリアの町を出発して三日が経過していた。
 最初の二日間は大したトラブルも無く、順調に旅が進んでいたのだが、三日目の今日になって突然、魔物の襲撃が相次いでいるのだ。しかもかなり手ごわい種の。
 倒すと跡形も無く消えてしまうことから考えて、あの菜の花通りでのワービー襲撃と同じ手口である。同一人物、もしくはその仲間の犯行である事は間違い無かった。誰かが召喚して差し向けた魔物だ。
 「軽く倒されるのが分かってて、何回も差し向けてきやがって……」
 小さくため息をついてリースが言った。
 そうなのだ。
 襲撃のたびに戦闘が起こるのだが、瞬く間にリースとアリスの二人によって魔物たちは一掃されてしまうのだ。
それなりに強くて凶悪だと知られる魔物に対してこれである。二人が相当な使い手である事は疑う余地も無い。
 そんな感じだから、見習いのひよっ子魔道士に出番があるはずも無かった。出来る事といったら、せいぜい二人が倒し損ねてセイラに向かってくる魔物を、魔法で倒す事くらい。それも、セイラがただ戦闘をサボっているからシズクが相手をしているだけなので、実際はシズクがいなくても彼一人で何とかなる事だろう。
 つまりそう、シズクが居ても居なくても変わりが無いのだ。
 「はぁ」
 当たり前といえば当たり前だった。
 そもそも経験の差からしてもかなりのものがある。シズクは今まで学校の実技やちょっとした旅行で戦闘を経験した程度で、旅にも不慣れだ。反面、リースやアリスは大分実戦を積んでいる感がある。
 また、才能の面でも彼らは、普通の人間に比べて頭二つ分は飛びぬけているだろう。
 アリスの魔力には目に見張る物がある。一番下級のの術であれだけの炎を生み出せる呪術師はそういないだろう。
 リースにしてもそうだ。剣術の事は全く知らないシズクだったが、彼の瞬発力と正確な判断力は素人目に見ても脅威だった。仮にも水神の神子(あんな性格だが)の護衛についている人間だ。それ位でなくてはいけないのだろう。
 セイラから依頼を受けたとき、シズクは護衛ではなく同行人という名目だった。戦闘には加わらなくても良いという事だ。それを聞いたときにはまさかと思い、自分も戦うときには戦うつもりであった。しかし……
 (出る幕無しって訳か。まぁ、安全で楽と言えばそうだけど)
 やっぱり少しだけ自分がみじめに思えてしまい、心が沈むのだ。






 「うーん、やっぱり召喚されたみたいね」
 渋い顔でシズクは、乾いた地面とにらめっこをしていた。いや、正確に言うと地面に描かれた『魔法陣』と、であるが。
 シズクの視線の先で、魔法陣は赤黒く、くっきりとその全体像を土の上に残していた。見ようによっては血の色に見えない事もない。そんな色合いも手伝ってか、どことなく不気味な雰囲気を放っていた。全体が魔法陣用の特殊な粉を用いて描かれており、あたりにはまだ薬品くさい臭いが漂っている。つまり、術が発動した直後である事を物語っている。
 陣円の外側は力を呼び出す場所を、内側は力を出現させる場所を表し、そして陣円を形作る線には、二つの場所を繋ぐための式が組まれる。これが召喚の魔法陣の基本形である。
 説明だけだと簡単そうに見えるが、実はこれが難解で経験をつんだ魔道士でも難しい。シズクなどは作られた陣の理解くらいは出来るが、自分で全てを組み立てる事に関しては全く疎いし出来ない。
 残されていた魔法陣も基本形通りのシンプルな作りであった。唯一つの事を除いては。
 「また魔族(シェルザード)の文字だな」
 シズクの横にしゃがんで、彼女と同じくらい渋い顔で呟いたのはリースだ。さらりと垂れる金の前髪を鬱陶しそうに払う。相当いらだっている様子だ。
 「本日4つめね。製作者も飽きずによく作るわね」
 アリスも疲れの篭った声を漏らす。さすがに日に4度も戦闘があってうんざりしているのだろう。人形のように整った顔立ちを苛立ちでゆがませていた。
 「他に何か分かることはありますか?」
 「そうだな……術者はよほどの大ばか者か、かなり頭のキレる奴かのどちらか、かな」
 セイラの問いにリースが少しだけ皮肉を込めて答えた。リースも戦闘にうんざりしているくちである。何度も同じ手口を繰り返す術者に文句の一つでも言ってやりたい心境なのだろう。
 「確かにね。普通、魔法陣なんてホイホイ使うものじゃないもの」
 リースの隣でシズクも頷いた。
 魔法陣というのは、作るのに時間がかかる上に難易度も高い魔法である。シズクの親友であるアンナに言わせると、式を組むまでの過程がパズルを解くようで楽しいらしいが、一般の魔道士にとってはうんざりする事請け合いである。どうせ使うなら、呪文だけで発動する通常魔法の方が断然楽だ。
 それ故にそんなに多用されるものではないのだ。ましてや、式の組み方に個人差や言語の癖なんかも出てくるので、場合によっては術者を特定される危険性もある。奇襲や襲撃などで使う代物であるはずがないのだ。
 まぁ今回の場合、魔族(シェルザード)文字というなかなか一般の魔道士が扱えない文字が使われているので、陣の解読などはされにくいだろうが。
 「愉快犯、もしくはこちら側の力量をはかりたいためかな。例えば、魔法陣の解読が出来るほどの魔道士がメンバーの中にいるかどうかを調べるため、とか」
 そこまで言ったところで、リースは意味ありげな視線をシズクに浴びせる。
 「……なによそれ。私が解読出来ない魔道士って事を遠巻きに馬鹿にしてんの?」
 「誰もそんな事は言っていないけど。自分からそう言うって事は自覚があるんだな」
 「あのね!! 魔族(シェルザード)の文字なんて普通は誰も読めないのよ!!」
 リースの挑発にシズクは目を吊り上げて叫んだ。
 この二人、出会った瞬間から相性が悪いらしい。日に一度はこうやって口論を始めるのだ。もっとも、原因を作るのは決まってリースの方で、シズクはそれにまんまと乗せられてしまう方なのだが。
 「まぁまぁ二人とも落ち着いて。確かに魔族(シェルザード)文字はなかなか難解な文字なので、シズクさんが読めないのも仕方ないですよ。僕も読めませんしね。まぁ……リースは読めますけど」
 仲裁に入ったセイラの言葉を捉えて、今にもリースに怒鳴りかからんといった様子だったシズクは、意外にもあっさりと身を引いた。いや、彼の言葉を聞いて動きを止めたと言った方が正しい。
 「……読めるの? 魔族(シェルザード)文字」
 「……まぁ、カタコトだよ。本当に少しだけ」
 先ほどの怒りは何処へやら。あっけにとられた表情を見せるシズクに、リースもすっかり拍子抜けしてしまった。
 そういえば、魔法学校で彼が魔族(シェルザード)文字を読んだ場にシズクはいなかった。知らなくても不思議はない。
 「でも一応は読めるのね!! じゃぁちょっとココ読んで!!」
 急に興奮して叫んだかと思うと、彼女はリースの返事も聞かずに彼の腕をひっつかむと、魔法陣のある一点までそれを持って行った。
 「ちょっ、一体なんだよ!」
 突然視界が移動して、リースはあわてた様子だったが、しぶしぶ言われたとおりに示された部分を解読しようと身を乗り出した。口の中で確認するように言葉を噛み砕き、そのうち真剣なまなざしで古代の言語と向き合い始める。
 複雑な形をした文字は、何も知らない人が見たら模様だと思うかもしれない。書くのに一体どれだけの時間がかかるのやら。術者は冗談抜きで暇人なのかもしれない。

 「……『キ』……いや違うな。ク……『クリウス』」
 意味も分からず解読させられて、リースの口から出てきた言葉がそれだった。だが、その言葉が自分たちの言語で一体何を意味するのかがなかなか出てこないらしい。リースはまだ怪訝な表情を浮かべている。
 「そっか。クリウスね」
 しかし、首を傾げるリースの横で、納得したようにシズクが解読された言葉を復唱した。リースはまだ納得がいかない様で、何かを尋ねようと口を開きかけたようだったが、
 「――術者の名前ね」
 凛とした声が背後から響いた。アリスだ。
 「魔法陣を使うっていうのは、いわゆる契約と同じ行為。だから術を行使する際、術者の真の名前が必要とされる」
 「そのとーり。だから魔法陣ってのは普通は人間相手の戦闘では使わないのよ。自分の名前がばれちゃうからね」
 アリスの説明に、シズクは満足そうに頷いた。やっと合点が行ったようでリースもへぇと声を漏らした。
 「にしてもお前よく分かったな。ここが術者の名前の位置だって」
 「まあね。大体契約の条文が並べてあって、次に術者の名前を書くから。ここら辺かなって」
 珍しくリースが自分に感心しているので、シズクは少し照れくさかった。恥ずかしそうにはにかむと、ゆっくり立ち上がる。
 「とりあえず分かる事といったら、術者の名前がクリウスって事と、青い瞳を持つ事ね」
 「青い瞳?」
 シズクに習うようにリースも立ち上がると、不思議そうに首をひねった。
 「魔族(シェルザード)といったら青い瞳ってのは有名な話じゃない」
 それは有名な話だった。
 そもそも『シェルザード』とは彼らの言語で『魔道の民』を表す単語なのだという。その王たる人物は赤い瞳に銀髪を持ち、王を除く全ての者が青い瞳を持つ。この世でもっとも魔道に通じるこの種族の事は、これくらいしか知られていない。謎の多い民なのだ。
 「まぁ合点はいくけど……」
 「いくけど?」
 不思議そうに首をひねったシズクに、リースは少しぎこちなく視線を合わせると、
 「青い瞳なんて、人間にも結構ざらにいるし、クリウスって名前もそんなに珍しい名前じゃねーよな」
 「…………」
 言われてみれば、確かに。
 名前と瞳の色が分かったところで、広い世界の中だ。早々見つけられるものではない。情報力がこちらにあれば別だが、魔族(シェルザード)に関する情報網なんて、もちろん持っている訳がない。
 「つまり、結局な〜んにも分からないって事ですね」
 セイラににこやかに指摘されて、シズクは気まずそうに頭をかいた。
 春風が頬を撫でてゆく。
 「……まぁ、そうとも言いますね」
 身も蓋もない言い方をすると、魔法陣を探して時間をかけてそれを解読したところで、何の意味も無かったという事である。そういう考えまで行き着くと、セイラを除くその場の全員が深いため息をついていた。



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