追憶の救世主

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第4章 「乙女の消える町」

3.

 ――旅の方へ
 警告:失踪事件多発
 最近この付近では、若い女性が失踪するという事件が相次いでおります。女性は夜、一人で出歩かないよう注意して下さい。たとえ昼間でも裏道、細道を通ることを避け、明るく人通りのある道を選びましょう。
 カンテル町 町長。



 「…………」
 日がもう間もなく沈もうかという、夕暮時。その日の宿にと立ち寄った町で真っ先にシズク達を出迎えたのは、こんな看板だった。
 普段なら催し物などのお知らせに使われるだろう看板だろうが、穏やかでない内容の記事に、しばらく一行は見入ってしまう。
 世の中は、決して完璧に平和と言うわけではない。今現在でも争いが起こってる地域はあるし、シズクが住んでいたオタニアも紛争の残り香が今だに存在する。
 だが、ここはオタニア国内ではあったが、どちらかというと都心部から離れた小さな町である。田舎町、と呼んでもおかしくはない。そんな所で、都会でも滅多に起きないような物騒な事件が頻発しているというのは珍しいケースだ。
 ひゅうっと、夕方の少し冷えた風が吹いた。風と一緒に、乾いたレンガの匂いもやって来る。
 「……なんだか物騒だね」
 看板の文字をまじまじと見つめながら、不安そうにシズクが言った。
 正直なところ、こんな事件が起こっている町に泊まるのは気がひける。かといって野宿をするとなると、それはそれで危険が伴う。要するにどっちもどっち。いや、相次いでいる謎の襲撃のことを考えると、町の宿屋の方が幾分安全に見える。あぁ、だがしかし……。
 そんな葛藤に苦しんでいるシズクに、
 「……お前、何心配してるんだよ。安心しろって、失踪するのは若い女性だから」
 『女性』と言う部分を特に強調して言ったリースの台詞に、シズクはムッとなる。半眼で睨みつけてやると、楽しげに笑う緑の瞳とぶつかった。
 要するに彼は、シズクに女性と言えるほどの素養が備わっていない、と。こう言いたいのだろう。いやたしかにそうなのだが……そうなのだが! 何か言い返してやらないと気がすまない。そう思って、シズクが口を開こうとした時だった。
 「あんた達、旅の方かね」
 声は、一行の後ろからかかった。少ししわがれた、男の声。
 リースの方へ集中していたシズクは、急なことに驚いて身がすくんだ。しかし、ゆっくりと振り向くと、何のことはない。そこには、いかにも町人といった感じの中年の男が一人、立っていたのだ。
 小太りで、あくの強い顔をしている。夕日に照らされて、よく日焼けした顔の凹凸が余計に強調されて見えた。
 「そうです」
 相変わらずの笑顔を顔に浮かべながら言ったのはセイラだ。
 「宿を取ろうと思い、立ち寄ったんですがねぇ。随分物騒な事が起きてるみたいですねぇ」
 看板を一瞥しながら言う。笑顔のままでそんな事を言われても、あまり深刻そうに聞こえない。人によっては、彼の口調を相手を馬鹿にしているととってしまうかも知れない。
 しかし、男は良く訊いてくれたとばかりに得意気な顔になると、こう答えたのだ。
 「今月に入って五人さ。娘たちは怖がって皆外を出歩かなくなっちまった」
 「五人!?」
 思わずシズクは声に出して叫んでしまった。それはリースとアリスにしても同じだったようで、セイラを除く三人の声は見事にハモった。
 五人というと、大した数だ。今月に入ってまだ半月もたたないので、単純計算で週に二、三人が失踪しているペースだ。
 「そう、五人。始めは確か道具屋んとこの上の娘だったかな。ここいらじゃ割と評判の器量よしでね……」
 尋ねてもないのに、男の口から、実に饒舌に事件の事についての話が飛び出してくる。その話し振りは台本にでも書いているのかと思うくらい順序だててあって、なめらかだ。誰かに話したくてうずうずしていたといった感じだ。こうして看板の前にずっと立って居た事からも、その辺の心理が読み取れる。まぁこちらとしても多少興味のひかれる話だったので、あえて止めたりはしなかったが。

 最初の失踪事件は先月の半ばだったそうだ。
 夕暮を過ぎても娘が帰って来ない。と、道具屋の母親が町長の元に駆け込んで来たのが始まり。当初は単なる家出か何かだろうと思われたらしいが、二日三日と経っても一向に手掛かりは見つからなかった。
 さすがにこれには町人達もおかしいと思いだし、最終的には大規模な捜索が行われたのだ。山狩りまでやったらしい。そこまでやってもしかし、少女は見つからなかった。
 「それ以来だな。若い娘が相次いで失踪し始めた」
 男は、少し声のトーンを落とした。
 失踪するのは、なにも町の娘に限った事では無いそうだ。旅人や、たまたまこの町にやって来た客人まで様々。その中には、魔法や武術に長けた者もいたらしい。となると、犯人はかなり戦闘能力が突出した者である線が濃厚になってくる。もしくは、神隠しの類か……。
 「だから、だな。あんたらも戦闘なんかに慣れてるかもしれねぇが、注意しなよ」
事 件のあらましを一通り話し終えてから、男はそう付け加えた。それを聞いてシズクは、ごくりと唾を飲む。
 ――魔法や武術に長けた者もいたらしい。
 それはつまり、魔法や武術を用いても適わない相手か、そんなものを使う間もなくさらわれるかのどちらかと言うことだ。
 シズクなどは一応魔法が使えるが、長けている、とは言いにくい。もしそんな目に合ったとしたら、確実に終わりだろう。
 「あ、あと……そうだな」
 一瞬の沈黙の後で、男は思い出したかのように声をあげた。ぽんっと丸っこい手を打つと、うんうん頷きながら一人で納得し始める。それまで押し黙っていた一行も、なんだろうと彼のほうへ視線を寄せた。
 「失踪した娘達には唯一、共通することがあったんだ」
 「共通すること?」
 その言葉に、シズクは眉根を寄せる。
 一体何だろうか? これまで聞いてきた話からすると、失踪した娘達にはこれといった共通点は見られない。出身も職業も、身分も何もかもがバラバラ。それなのに、共通点があるとは……。
 「その、失踪した娘達なんだがな。全員、これまた選りすぐりの別嬪さんだったんだよ」
 思案顔のシズクの前で、興奮した様子で男が言った。対するシズクは、思ってもみない解答に、一瞬マヌケな表情を浮かべる。隣でリースが「へぇ」と大して興味もなさそうに呟いたのが聞こえた。それから、男の饒舌な説明が再び開始される事になる。

 男の話を要約するとこうだ。
 最初に失踪した道具屋の娘から始まり、飲み屋でバイトをしていた、客に人気の女の子、旅の美人吟遊詩人に都会の富豪の娘。いなくなってしまった娘達は皆、誰が見ても『美しい』という形容詞が浮かぶような美女ばかりだという。それだけが、唯一共通している部分だそうだ。
 「まぁ、こういう事件に巻き込まれるっつったら美人ってのが定石だがな。気の毒な話だよ。道具屋の母親なんかは、元から病気がちだったってのに、娘の失踪で寝込んじまったらしい。だから悪いことは言わねえ。美人は一人歩きをする時は気をつけるこったな」
 それだけ言うと、男は興味深そうに彼の話を聞いていたアリスに意味あり気な視線を送った。アリスは視線を受けてもきょとんとしていて、よくわかっていない様子だったが、彼女以外の者は、おそらく同じことを思っただろう。アリスは言うまでもなく、とびきりの美人だ、と。
 女の子なら誰でも憧れる、透き通った白い肌にすらりと伸びた四肢。そして肌の色と対照的な漆黒の瞳。旅人の格好をしているが、その立ち居振る舞いにはどことなく気品が漂っている。
 シズクは時々、彼女がどこかの国の王女様では無いのかと思う事がある。失踪したという娘達の顔は見た事がないが、アリスはその娘達と並ぶくらい、いいや彼女達の誰よりも美しいのではないんだろうか。もっとも、本人はそんな事には全く気付いてないだろうが。



 「なんだか知らないけど、親切なおじさんだったね」
 男と別れた後、町で宿屋を探す道すがら、思い出したようにシズクが言った。
 夕闇の迫った通りは、人通りがまばらだ。商店にも活気が無い。明らかに例の事件がこの町全体に暗い影を落としているのが見て取れた。
「そうかぁ? 俺には、親切半分、不幸自慢半分って感じに見えたけど」
 シズクの隣を歩いていたリースは、彼女の言葉に肩をすくめると、異を唱える。どうやらリースは男のことがあまり気に入らなかったらしい。そういえば彼の話を聞いている間中、胡散臭そうなものでも見るような顔をしていた。
 「リースは少し、人を見る価値観が歪んでるわね」
 後ろから呆れた声をあげたのはアリスだ。振り返り、リースはなんだよ。と不満の意を漏らす。
 「確かにそうだね。初めてわたしに会った時も、わたしの事敵じゃないかって疑ってかかったし」
 「あれはあの状況ではしゃーねーだろ」
 次いで隣からかかったシズクの非難の声に、リースはうんざりした表情を覗かせる。そして、溜め息を一つ。
 シズクが口論でリースに勝てる時といえば、あの菜の花通りでの一件をシズクが持ち出す時以外には有り得なかった。シズクにとっては、リースに対する唯一にして最大の手だ。この事を持ち出すと、大抵の場合彼は何も言えなくなる。
 しかし今回は違ったようだ。最初はシズクを横目で見るだけで何も言わないリースだったが、ふと何かを思いついたらしく、話を逸らすように呟いた。
 「まぁ……取りあえず、良かったじゃねーか、シズク」
 「へ?」
 リースの言葉に、シズクはマヌケな声をあげる。首を傾げるしぐさを見せ、何のこと? と瞳で知らせた。
 「心配しなくても良くなったじゃねーか」
 「何が?」
 「失踪事件だよ」
 言ってから、リースは意味あり気な笑いをシズクへと向ける。シズクはと言うと、それでもまだ彼の真意を分かり兼ねており、あれこれ考えを巡らせていた。そんなシズクの様子を含み笑い混じりで見てからリースは、
 「あのおっさんの話だと、失踪するのは美人ばっかりなんだろ? 良かったじゃねーか」
 しれっと、言ってのける。
 「……どういう意味よ」
 「そのまんまの意味さ」
 半眼で睨みつけてくるシズクに対し、リースは肩をすくめるだけだった。心なしかその素振りは少しわざとらしい。
 つまり彼はこういうことを言いたいのだろう。お前は『美人』という人種じゃないから、どう頑張ったって誘拐犯のターゲットになる事はない、と。
 なるほど、確かにシズクは美人という部類ではない。それは彼女とて自覚している。だが……あんたに言われる筋合いは無い。というのがシズクの今の心境だった。
 しゃあしゃあとそんな事を言ってのけたリースの態度が気にいらず、シズクはみるみる険悪な表情になって行くと、
 「余計なお世話よ!!」
 しまいには、大声でそう叫んでいた。



 はぁ……。

 アリスは、前の二人に気付かれないくらいの溜め息をついた。オリアを出てから、この光景を見るのは一体何度目になるだろうか。
 決まってリースから吹っ掛けて、それに乗せられるようにシズクがケンカを買ってしまう。セイラなどは賑やかになって楽しいと呑気なコメントを寄せていたが、アリスは少し心配だった。シズクとリースの仲が本当に険悪になってしまいやしないか、と。今の所、ふざけ合いの範疇に収まってはいる。
 でも……。
 そこまで考えてから、アリスは再び前方の二人を見やる。まだシズクはリースに食ってかかるのをやめていない。リースの方も、シズクを余計にあおる様な言葉を並べ立てている。これではまるで、子供のケンカではないか。
 通り行く人は、まるで珍しいものでも見るような顔で振り返りつつ歩き去っていた。その顔に浮かぶのは、少しのあきれと微笑ましそうな苦笑い。
 二人のケンカは、たしかに頻繁だが、決して嫌な感じがするものでは無い。こんな事、二人に言ったらきっと眉を寄せて全力で嫌がられるだろうが『兄妹のじゃれ合いみたい』というのが、正直な感想だった。確かにそうなのだが、
 (リースの場合は良いのよ、どうせ楽しんでいるだけだから)
 アリスは、幼い頃からリースの事を知っている。いわゆる幼馴染みというやつだ。そんなアリスだから分かる。幼い頃から比べて背も伸びたし姿も大人びたが、彼の人をからかうこの性格だけは全く変わっていない。
 それに、リースがからかいの標的にする子というのは、男女の関係無く、大抵は彼が気に入った子というのが多かった。シズクに対しても、おそらくそうだろう。だから彼に関しては何の心配もしていない。きっと、いつものからかいだろうから。問題は……
 (シズク、ね)
 もう一度小さくため息をついて、アリスは彼女の方を見た。こげ茶色のポニーテールに、青い大きな瞳が印象的な魔道士見習いの少女。
 リースの言うように彼女は美人ではないが、それは幼い容姿が邪魔をしているだけの話で、決して彼女の顔の造形が悪いとかそういう訳ではない。シズクはあまり喜ばないかもしれないが、かわいらしいと言う言葉がぴったりくる、とアリスは思う。
 シズクとて、リースの事を嫌ってまではいないだろうが、ひょっとしたらあまり良く思っていないのかも知れない。だからアリスは、いつかリースが、彼女を傷つけてしまいやしないかと不安になるのだ。リースもさすがにそこまで子供ではないだろうが、言葉の弾みという事もあるのだ。
 そこまで考えてから、アリスはふるふると首を左右に振った。
 (……考えすぎね)
 そう思いなおしてから、再びしっかりとした足取りで歩き出す。町にはもう、夜のとばりがすっかり落ちていた。



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