追憶の救世主

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第4章 「乙女の消える町」

5.

 ――赤、青、黄、白。

 色とりどりの品物がところ狭しと並んでいて、その場は実に目に鮮やかだった。ともすれば、ここが小さな店だということを忘れてしまうくらいに引き込まれる。それに色彩だけではない。様々な模様が書き込まれた陶磁器や通常の形とは少し違ったユニークな器など、いろいろで、見ていて飽きない。まるでこの店内だけ現実から切り離したみたいだ。外の雨もこの空間では感じられない。
 シズクは視線をせわしなく動かして、店内を見回していた。ちらりと横に目線を移動させると、アリスも彼女と同じように、興味深そうな瞳で店内を見回っている。
 場所は、商店街に建ち並ぶうちの、一件の小物屋だった。
 例の事件でただでさえ客足が伸び悩んでいる時期であるのに、今日はあいにくの雨だ。客の入りは顕著にその事を表している。アリスとシズク以外に、店内に姿は無かった。そんな訳だから、数少ない訪問客であったシズク達を、店長らしき男性は快く迎えてくれた。まけるよとまで言ってくれているのだ。買い物魂に火がついたのか、これは買わないわけには行かないというアリスの意見で、彼女達は先程から店内を物色しているのだ。

 シズクは上のほうの棚を見上げていたが、やがて目線を下ろした。次が最後の棚だ。
 しかしこう見上げてばかりだと、さすがに首が疲れてくる。ちょっと休憩とばかりに目線を正常な位置に戻してから、軽く首をさすった。そうして首の運動がてら、くるりと店内を見渡してみる。
 埃ともカビともとれない、古い店にだけある独特の匂いがした。
 店はそれほど大きくなく、容易に一回り出来てしまうくらいだ。その狭いスペースに少しでも多くの場所を確保しようと、背の高い棚が密になって立ち並んでいる。その間に、お情け程度の人が通る隙間がある感じだ。年季の入った黄ばんだ壁は、あのノートルの店を思い出させる。店の雰囲気も広さも丁度このくらいだろう。静かな店内にいると、棚の影からあのいかつい顔がひょっこり姿を表しそうな気がして、少しだけ鼻がつんとなってしまった。
 「…………」
 (何、感傷的になってるのよ)
 暗い方向に考えが流れていってしまいそうだったところで、シズクは考えるのをやめた。吹っ切るように首を左右に振ると、気を取り直して棚の物色に戻ろうと決め、木張りの床をゆっくり移動する。シズクの歩に合わせて、板と板がこすれ合う軽い音が聞こえた。
 最後の棚の前に来ると、ぐんと上を見上げる。
 相変わらず天井くらいの高さまである棚だ。まだ首は痛かったが、これで最後だと思う事にして、棚の中にある商品を上から順に見ていく。見ながら、あまりぱっとしないな、と思った。
 一番店の奥にある棚なので、人気の無い商品置きなのかも知れない。誰の目にも付かずに、ここで幾重もの時を過ごしたものもあるだろう。埃のかぶり具合も、なんだか年季が入って見えた。
 そんな中でも何かの期待を持ちながら、目線をだんだん下げて行く。と、あと二、三段で床に到着するというくらいの下のほうの棚で、シズクの目の動きが止まった。
 「――――」
 どきりと心臓がありえないくらいにざわついたのが分かった。
 まるで会いたくない人に、運悪く道端で出くわしたみたいな。
 そんな感じのざわつき。

 ――雨。

 心の中でそう呟いてから、シズクは目の前の棚に陳列されていた商品を凝視する。彼女の青い瞳にうつったそれは、白い素材で出来た、形はごく普通のティーカップだ。しかし、シズクの注意を引いたのは形や色ではない。その模様だった。
 水色の雫形の模様があしらわれており、所々に花のアクセントと家々が描かれている。つまり、町に雨が降っている様子を可愛らしく描いたものだった。
 わざとぶれた線を描き、はみだした色のいれ方をしてる。その微妙なラインと色合いが、なんとも繊細な均衡をカップの上に生んでいた。おおよそ普通の女の子ならば「可愛い」と零すデザインだろう。
 可愛いと、確かにシズクも思った。ただ、この妙な気分は何なのだろうか。いくら雨が好きではないというシズクでも、さすがにこんな雫の模様ごときで心乱れたりなんてしないはずだ。
 それなのに……一体なんで……こんなにざわめくのか。
 窓の外を見ると、相変わらず鉛色をした空から雨が降り注いでいた。

 ――雨、花、町。

 ……町?

 ……どこの町?

 「それいいじゃない!」
 横から突然凛とした声が掛かって、シズクの心臓は飛び上がった。あまりにも心臓が跳ね上がったので、全身が脈打ってしまっている。耳元にまで鼓動が聞こえているくらいだ。
 灰色の思考の海から彼女の意識を引きずり上げたのは、他でもないアリスだった。彼女はいつの間にかシズクの隣におり、中腰の姿勢で先程のカップに視線を注いでいる。
 「可愛いじゃない。これにしたら?」
 笑顔でこちらに視線を向けてくる。
 「丁度雫模様だし。シズクのカップにぴったりじゃない!」
 良い考えが浮かんだとばかりに、少し子どもっぽく笑う。にっこりと白い歯を見せる彼女は、とても美しかった。そんな彼女をシズクは、まだ驚きのさめない顔で見つめる。ぼんやりと、美人というのはきっと、こういう人の事を言うんだろうなと思った。
 シズクもそうだが、アリスはあまりアクセサリーの類を着けないし、化粧もしない。まぁどちらとも旅に不向きなものでなので、あえてしていないというのも一つの理由だが、そんなものが無くてもアリスは綺麗なのだ。もともと持った容姿とその醸し出す雰囲気だけで十分に引き立っている。
 一緒に歩いていると、道行く人々が夢を見るかのような瞳で彼女の方を振り返るのを度々目撃するのだ。

 ――良かったじゃねぇか。

 ふと、昨日のリースの言葉が脳裏に蘇る。
 町で失踪した女性達が美人ばかりであるという事を受けて、シズクに向けられた言葉。……同じ台詞は、絶対アリスになんかは言わないだろう。そう考えると、無性に悲しくなってしまった。悔しいからではないと思う。自分の身の程はわきまえているつもりだ。 そりゃぁアリスみたいな美人になれたらなぁと思わない訳は無いが。
 「…………」
 さっきは急に怒鳴ったかと思うと、いきなり部屋を飛び出してしまった。彼は怒っているだろうか。セイラからもなんて礼儀の無い子だと思われていなければ良いのだけれど……。
 二人ともさすがに驚いていた様子だった。原因は、彼やセイラさんに対する不安から来たものだろうか。自分が彼らの仲間として見てもらえているかどうかが、そんなに気がかりだったのだろうか。
 それとも、単に買い物に着いてきてくれない事に対して腹を立てたのだろうか。でも、はたして自分は、そんな子供っぽい理由で飛び出したりする人間だっただろうか。
 (何だか今日のわたしは変だ)
 ちょっとした事にびくびくなる。かと思えばイライラしている。この鬱陶しい雨がそうさせているのだろうか。
 それとも逆で、イライラしているから、雨やちょっとしたカップの模様に過敏な反応を示したりするのだろうか……。
 自分の愚かさ具合にいい加減笑えてくる。きっと今日のわたしは、目を覆いたくなるくらい滑稽なんだろう。一気に自分が情けなくなってきて、ふうっとため息を吐いた。
 「――ク、――ズク、シズクってば!」
 はっとしてシズクは、それまで焦点の定まっていなかった瞳をようやく動かした。
 「――え?」
 我に帰ると、目の前に突然、アリスの姿が現れる。いや、現れたように見えただけで、元からその場にいたのだ。シズクの目がそれを見ていなかっただけで。
 「……どうしたの? ずっとあさっての方向を見てたわよ?」
 アリスはシズクの空色の瞳を怪訝な顔で覗き込んだ。さっきからきっと、何度も自分の名を呼んでくれていたのだろう。
 「……ううん、何でもない。ぼーっとしてただけ」
 とっさに笑顔を取り繕って、シズクもアリスの瞳と目を合わせた。すぐ側に彼女の顔があるので、澄んだ夜色の瞳に自身の姿が映るのが見える。笑顔だが、目がちっとも笑ってない。
 今日の自分は本当にどうしてしまったんだろうか。調子狂うなぁと、また心の中で零した。
 「だったら良いんだけど……それで、これどう?」
 いまいち納得がいかない様子だったが、深く追及する気はないようだ。気を取り直した様子で、彼女は再び例のカップへと視線を向けていた。
 「う〜ん」
 わざと迷う素振りを見せて、シズクはカップを見つめるしぐさをした。雫模様のカップは、まるでこちらに訴えかけるように強い存在感を放っている。しかし、シズクの心はもう固まっていた。
 カップの呼びかけには耳を貸さないといったようにしっかりと前を見つめ、
 「これも良いんだけど、あっちの花柄のヤツが良いなぁって思って」
 はっきりと言葉を紡いだ。






 ぱらぱらと軽快な音が立つ。
 傘に向かって雨粒がぶつかっているのだ。音だけ聞いていると、まるで雨粒が傘とじゃれ合いでもしている様に感じて実に楽しそうなのだが、辺りを見渡すとその気持ちも一気になえてしまうだろう。
 じめじめとした鬱陶しいくらいの雨。肌全体が湿り気を帯びているが、それが汗なのか湿気なのかは全く区別がつけられない。唯一、不快感だけが共通だった。
 足下のレンガが濡れて、辺りには独特の匂いが漂っている。町の通りは人がまばらで、傘をさしていても歩くのに不自由しないくらいだった。さすがは雨天といったところだろうか。
 しかし、人通りが乏しい割には、目的の人物を見つけ出す事はなかなかかなわなかった。雨の鬱陶しさと、見つけられない苛立ちとで、彼の表情は険しい。
 ところが彼の思惑に反して、その表情も雨の元では妙な憂いを放っており、彼の整った姿形をかえって引き立てる効果を持っていた。実は先程から何人かの女性(老若問わず)が色のある目で彼を振り返り見ていたりするのだが、もちろん本人は気付いていないだろう。
 「どこ行っちまったんだよ。ったく……」
 憎々しげにリースは零した。立ち止まって辺りを見渡す。もうこの作業もさっきから何度目だろうか。色とりどりの傘が彼の目の前を優雅に通過していくが、見覚えのある傘はその中には見つからなかった。

 リースがシズク達を追いかけて宿屋を出たのは、セイラに頼まれてすぐの事だった。彼女達が部屋を飛び出してから、そんなに時間は経っていないはずなのだが、彼が通りに出た時にはもう二人の姿はどこにもなかったのだ。
 ひょっとしたら居たのかもしれないが、この天候だ。視界があまりよくないのと、通りを歩くほとんどの者が傘をさしていて、個体の区別が付きにくいのだ。分からなかったとしても無理は無いだろう。
 彼女たちの目的はティーカップを買うことなのは分かっているので、一応道すがら小物屋や日用品店などを尋ねて歩いてはいた。しかしこれも未だ当たりは無い。狭い田舎町だからといって、かなりの町人が生活している場である。思っている程狭くは無いという事だ。
 真っ昼間からまさか例の失踪事件に巻き込まれるとは思わないが、むしろ心配なのは相次ぐ襲撃の方だった。昨日から自分達を襲撃している魔物は、いずれもオリアの町での手口同様、魔法陣を用いた召喚術によって呼び出されたものだった。
 いくら奴等でも人通りのある町中で、魔物を呼び出す程バカではないと思うが、野盗を使う可能性もある。アリスがいるから大丈夫だろうが、やはり女の子二人では少し心配。というのがセイラの意見だった。
 それに――

 ――だから来なくていいってば!!

 シズクのあの時の態度が、リースの心の中で引っ掛かっていたから。
 会って話をしたところで何の意味も無いかも知れないが、やはり気になるのだ。

 耳に届く雨の音が突然大きくなった。雨脚が強くなったのだ。先ほどよりも力強く、雨粒が傘の上でダンスする。それに合わせて人々の足並みも早くなった。傘のおかげで濡れはしないが、視界は一気に悪くなってゆく。うすい霧が現れ出して、向かいの通りにある看板すら、かすんで見えはじめる。
 道全体が水溜りのような状態になったところで、さすがにリースも雨宿りを考え始めた。回りの人々の様に、雨宿り場所を探して早足に歩き出そうとするが、
 (……?)
 視界に何かを捕らえて、ふいに立ち止まった。
 なんだろうと思って目を凝らして見ると、朽ちた赤色が視界に入る。リースはまるで導かれるかの様に、それに近付こうと足を動かした。そしてやがて、霧で悪くなった視界の中に、突然それは姿を現した。
 「――――っ」
 リースは一瞬大きく瞳を見開くと、放心したように立ち尽くして、ぼんやりしていた。眩暈がしそうだ。こんな場所に、ありえない物があったのだ。
 赤い……赤い魔法陣。
 昨日シズクと一緒に検証した物とそれとは、色から形状に至るまで、本当によく似ていた。いいや、全く一緒だった。なぜなら、赤い輪郭は雨のせいで乱れてしまっていたが、魔法陣用の粉で描かれた代物だったから。そして最たる証拠は、陣の内部を這っている文字は――
 魔族(シェルザード)のそれであったから。
 「すみません!」
 次の瞬間にはリースは、大声で通行人の一人を呼び止めていた。
 通行人が男性だったならば、おそらく迷惑そうな顔で無視されていただろうが、それが中年の女性であった事が彼にとって幸運だった。女性も最初は迷惑そうに顔をしかめたが、リースの容姿を見て気が変わったのか、愛想笑いを浮かべて立ち止まってくれたのだ。
 「この地面の魔……模様って、一体いつからあったんですか?」
 人差し指で例の魔法陣を差しながら、リースは女性に詰め寄った。彼の表情は深刻そのものであったのだが、それがかえって彼女には良かったらしい。うっとりとした表情を浮かべながら、魔法陣とリースの間で視線を行ったり来たりさせる。そしてやがて、陽気にこう答えた。
 「あぁその落書きかい? 確か、一月くらい前からじゃないかねぇ」
 薄れかけた記憶を探り出そうと、彼女は更に、顎に手を持っていくしぐさをした。それほど印象に残っている物では無かったようだ。しかし、やがて何か良いことでもひらめいたのか、嬉しそうに目を見開くと、
 「あ、ほら! 例の失踪事件が起こり始めた時期だよ。それくらいからそこにあったと思うよ」
 そう、得意気に言った。ついでに、一体誰がこんなところに落書きを、と苦々しい口調で付け加える。その様子は、まるで近所で立ち話でもしているかのようだ。
 陽気な女性に対してしかし、リースの表情はよけいに深刻さを増した。
 「……もう一つ。この町に、魔道士の存在は?」
 更なるリースの質問に、女性はきょとんと動きを止める。そして、少しだけ訝しげな表情をリースに向けた。
 彼女にしてみれば、この地面の落書きから魔道士へ、どこをどういじくったら話が繋がるのか不思議で仕方ないといった感じだろう。
 「……魔道士はいないねぇ」
 しかし女性は、とりあえず訊かれた質問には答えようと思ったらしい。訝しがる表情は消えなかったが、今度はリースの方をはっきりとした目でみつめていた。
 「小さな町だからね。半年に一回くらい、魔物除けの結界の検査でよそからやってくるぐらいだね。あとは旅人とか・・・…」
 考えてみれば確かにそうだ。大きな町でも、そこに永住して某かの営業をしている魔道士は少数だ。小さな田舎町に居る事など、近くに魔法学校でも存在しない限りありえないだろう。
 リースの脳裏には、一番行き着いて欲しくなかった結論がはっきりと浮かんでいた。どうにか他の考えを導こうと質問を投げかけても、目の前の女性の回答が次々とそれを打ち消して、行き着いて欲しくない結論へと導かれてしまう。
 もし、この魔法陣を町人のただ一人も『魔法陣』だと気付かず、『ただの落書き』だと思っていたら?
 そして、それを唯一指摘できるであろう魔道士という存在がこの町に無かったなら?
 そして……失踪事件とこの地面の謎の落書きとを、結び付けて考えられるほど推理力のある人物が、この町に居なかったならば?
 「…………」
 嫌な汗をかいているのが分かった。相変わらず雨のもたらす湿気が凄かったが、これはきっと雨のせいだけではないだろう。
 視界の隅で赤色を放っているものが見えた。魔法陣の周囲に羅列された、魔族(シェルザード)の文字。恐らく町の人は、これが文字である事にすら気がつかなかったのではないだろうか。
 「今度のその……結界の検査はいつくらいの予定ですか?」
 険しい顔で、言葉を搾り出す。
 「確か、あと4か月は先だったかねぇ」
 女性はぼんやりと言った。リースの表情の変化には全く気付いて居ない様子だ。
 ――あと4か月。
 女性の失踪事件は、ひと月前から起き始めたらしい。昨日、あの男性から聞いた話だ。とすると、前の検査が済んで間もなく、失踪事件が起こり始めたということだ。これは果たして偶然なのだろうか?
 魔道士が来たら、ひょっとしたら魔法陣に気付かれてしまうかも知れない。そう思った者が意図的に、魔道士がこの町に居ない時期を選んだとしたら?
 リースの中で、それまで推測だけだった事が次々と確信に変わって行く。
 「――――!」
 そして、その確信にまるで解答をくれたかのように、魔法陣の一節が目に留まった。見た瞬間、昨日のシズクとのやりとりを思い出して、思わず背中がぞくりとした。
 奇妙なほどの共通点。
 今度ははっきりと、眩暈を覚えた。
 これがデジャビュかなにかだったら良いのに。
 柄にも無く現実逃避に走りたくなった。
 「……ったく!」
 「え? ちょっと、お兄さん!」
 女性が引き止める声も、リースには聞こえていなかった。はじかれたように傘を放り出すと、次の瞬間には彼は全力でかけ出していた。後に残された女性は、一体なんだとばかりに首を傾げると、怪訝そうに眉をよせた。
 女性は気付かないだろう。彼女の傍らに刻まれた模様が、落書きなどではなく、『魔法陣』とよばれるものだという事に。
 そして――

 すでに失われたはずの言語で、その一節に『クリウス』と、刻まれているということに。



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