追憶の救世主
第5章 「魔道士の城」
4.
旅の五日目はすこぶる順調だった。昨日と一昨日のトラブルが、まるで嘘だったかのように予定通り行程が進んでいく。例の襲撃も全くなかった。まぁ当たり前といえば当たり前だろう。襲撃を仕掛けてきた張本人が、自分の館へシズク達を招待したのだから。
「これで益々はっきりしたな。例の襲撃を仕掛けた首謀者が、エレンダルだって事がな」
地図を片手に、リースが機嫌悪そうに言った。
時刻は昼を少し過ぎたくらいである。つい先ほどジョネス国の国境を越えて、目的地、ジュリアーノへと続く街道を一行は進んでいた。早ければ夕方にでもジュリアーノに着けるだろう。
ジョネス自体はキリールという国を挟んでオタニアの南南西の位置にある国だった。
セイラの本来の目的地であるイリスピリアに行くには、レムサリアからオタニアを経由して、更に真っ直ぐ南に下るというルートが、最も近道になる。
リースの話では、シズクが一行に加わる前までは、彼らはこの道のりを進んでいたらしい。しかしそこへ、セイラの立案によるエレンダルの元への殴りこみ計画が持ち上がったのだ。セイラの突然の計画で、一行は急遽ルートを変更する必要があった。今は、オタニアから西に迂回するルートで旅を続けているのだ。イリスピリアに行くには少々回り道になるルートだが、ジョネス国へ続く街道はこれしかないからである。そんな中の今回のアリスの誘拐事件だった。
「……ねぇ。そろそろお昼ごはんにしない?」
随分前から言おうかどうか迷っていたのだが、とうとう痺れを切らしてシズクが言葉を発した。
前を行く二人はそこでやっと足を止めてこちらを振り向く。あっそうか。と言いたげな表情だ。
上を見上げると、太陽が天頂を遙かに越えたあたりにあった。
お昼をとうに回ったというのに、昼食にしよう。という声は、いくら待っても前方を行く二人からはかからなかったのだ。
もちろんシズクも、今は先を急がなければいけないという事は理解している。だが、さすがにそろそろお腹の方が限界だった。ほら、よく言うではないか、腹が減ってはなんとやら、と。
普段ならば昼食の時間を知らせるのはアリスの役目だった。いつも決まって彼女の鶴の一声で、昼食休憩が始まるのだ。……そう思うと、寂しく思うのと同時に、少しだけ胸が痛んだ。
「あぁ、もうそんな時間でしたか」
セイラは例ののほほん笑顔を浮かべると、昼食にしましょうか。とリースに促した。しかし笑顔のようでいて、セイラのそれは全然笑顔じゃない気がする。そう思うのは、少しはシズクがセイラという人に慣れた証拠だろうか。
リースも了解を示すと、荷物を地面におろした。
宿屋の奥さんが出発前にお弁当を持たせてくれていたので、今日の昼食は豪華なものになった。家庭的なおかずの数々に、色とりどりの野菜。そしてそれに、丹精込めて作ってくれたであろう握りご飯が添えられている。この地方のお米は炊くと粘り気が出るため、こうして握って食べるのだそうだ。一つ口に運ぶと、素朴な塩の風味が広がって美味しかった。
これを渡してくれたときの、奥さんの表情が目の前に浮かぶ。シズクの事をまるで実の娘のように気遣い、旅の安全を祈ってくれたのだ。抱きしめられたときに広がった、なんとも言えない優しい香りが忘れられない。まん丸な顔をした気さくな女性だった。母親というのはこういうものなのかと思うと、少しだけシズクは切なくなったのを覚えている。
そんな事をぼんやり考えながら、シズクはどこまでも続く街道のほうへ視線を泳がせた。天気が良いので視界が明るい。
手入れの行き届いた街道は、南南西に向かって真っ直ぐ伸びている。この街道、ジュリアーノに続く主要道とはいっても、田舎道とでも言おうか。周囲に民家の姿は無かった。小さな森がぽつんと遠くに見えるだけで、あとは何も無いだだっぴろい草原だ。そのためもあって、非常に見晴らしがいい。真っ青な空がずっと先まで見渡せるのだ。午後の光を浴びながら昼寝でもしたら、さぞかし気持ちがいいだろうと思う。もっとも、魔物が出る危険性があるので、そんな悠長な事は実際は出来ないのだが。
肉団子を口の中に放り込むと、シズクはふとリースの方へ視線を向けた。視線の先で、リースは山菜の和え物をフォークでつついている。それを見てからシズクは、小さくため息をついた。
今朝、あのネックレスを彼に見せた時の態度の変わり様を思い出したのだ。
目を見開いたかと思うと、突然言い訳みたいな事をつらつら述べるだけ述べて、部屋を出て行ってしまった。今となっても、彼があの文字の意味を教えてくれようとする素振りは全く無い。その事がずっとシズクの中で引っかかっていたのだ。
(そんなに変な文字だったのかな……)
あれからずっとその事を考えている。しかし、何度考えても、シズク自身の力では答えが出せるわけが無かった。それなのに考えは止まらない。
別にあの文字の正体が分かったからといって、自分の素性が分かるとは限らないのに。というか、分からない可能性の方が高い気がする。ネックレスを手に入れた時の記憶も無いのだし、何故持っていたのかという、それすらも分からないのだ。そもそもこれがシズクに関する物だという保証自体どこにも無い。極端な話、道端に落ちていたもので、それを当時のシズクが拾ったのかもしれないのだ。
それでも……あの文字と模様には、見覚えのある気がする。気のせいだろうか。
「? なんだよ」
シズクの視線に気付いて、リースが声を掛けてきた。
明るい緑の瞳と視線がぶつかる。怪訝な顔をしていたが、それでもその造形の美しさは変わらない。
完璧な顔というのはこういう顔なんじゃないかなぁと、シズクは常々思う。実際、街中を歩いている時に彼を振り返る女性の数は尋常ではないのだ。そしてその隣を歩くシズクには、なにやら怨念でもこもっているんじゃないかと思うほどの視線が浴びせられる事がある。いくら恋愛に疎いシズクでも、彼女達に自分がどう思われているかくらいは分かった。
「べ、別に。何でも無い」
そこまで考えてから、なんだか一瞬どきりとして、シズクは思わず目を逸らしてしまった。
ジュリアーノに一行が到着したのは、太陽が今まさに西の地平線に姿を消そうかというくらいの時刻だった。
茜色に染められた建物の間を、町人が忙しなく行き来する姿が見える。
ジョネス国で最も大きな町の部類であるジュリアーノは、人口の面でも面積の面でも、例の菜の花通りがあったオリアの町を軽く凌駕していた。とても一日では、全てを回る事は不可能だろう。建物の群れが、はるか後方にある山の峰付近まで延びているのだから。
「大きいねぇ! こんなに大きな町、わたし初めて」
目の前の光景に、シズクは正直に感嘆の気持ちを表す。
「商業が盛んな町と聞きましたからね。入ってくる人もきっと多いんでしょうねぇ」
シズクの後ろで、セイラがのんびり言った。
セイラの言うとおり、外部から入ってくる人間も多いのだろう。町を行き来する者の中には、町人の格好をした者以外に、旅人風の人間も数多く見受けられる。剣士や格闘家に始まり、数が少ないとされる魔道士の姿もたくさんあった。
大通りに面する建物には、様々な店がひしめき合うようにして並んでいる。更にその店の間に、露店や旅芸人の舞台が設けられていた。人々の歓声が耳に届く。賑やかな町だ。
ふと上を見上げると、『ジュリアーノ』と描かれた真紅の大きな看板には『ショッピングに最適、かゆいところに手が届く、旅人に優しい町!』といううたい文句が添えられていた。
どこからか甘い香りも漂ってくる。お菓子でも売られているのだろうか、と視線を動かしていくと、一つの小さな店の前で長蛇の列が並んでいた。店の看板には『お菓子店 緑の天使の休日』とある。あれだけの客足だ、美味しくないわけが無い。そう思い、シズクの足はそちらの方へと向きかけたが、
「まずは宿屋探しだろ。ったく。それに、ここに来た目的は、ただ買い物してぶらぶら食べ歩く事じゃないんだぞ」
心底呆れた様子でかかったリースの言葉で、シズクの足は阻止される事になった。
リースによって、町の散策を阻止されてしまったわけだが、肝心の宿屋探しはというと、これが予想以上に難航してしまった。
一行の条件に合う宿屋にたどり着くため、既に5軒以上もの宿屋をはしごしていたのだ。まぁ旅人の多い町だから、それも仕方の無い事かも知れない。それに、宿屋自体履いて捨てるほどあるので、宿屋を探す分には事欠かなかった。空き部屋があるかどうかは別として、だが。
「3名様ですね。お部屋は別々になさいますか?」
メガネの受付青年にそう尋ねられ、リースは二人部屋と一人部屋がそれぞれ一つずつ用意できないか。という旨を告げる。
青年はしばらくの間、簿帳をぺらぺらめくって思案顔になっていたが、やがて笑顔になると可能である事を告げた。その瞬間、リースを含む全員がほっとしたような笑顔に変わったのだ。無理も無い。歩き回ってくたくただったのだ。
「その様子だと、随分走り回られたみたいですね」
苦笑いを浮かべて受付の青年が言う。よくある光景なのだろう。
「かなりね。あ、そうだ」
「?」
リースの言葉に、青年は何? と視線を彼のほうに向ける。
「エレンダル・ハインの屋敷がこの町にあると思うんだけど。分かったら場所を教えて欲しいんだ。なにせ広い町だから、どこにあるか分からなくって」
実を言うと、宿屋を探すついでに、一行はエレンダルの屋敷も探していた。
もちろん町全体を見たわけではないが、クリウスの口ぶりからしておそらく大きな屋敷だろうから目に付くはず。と思ったのだ。ところが、だ。実際は、見つかるのは中小の様々な店がほとんどで、屋敷どころかそれらしき建物すら見つからなかった。
「エレンダル? あぁ、魔道士のエレンダル氏の事ですか」
青年は一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐに思い当たったらしい。高名な魔道士ともなると、町人にもその名を知られるようになるようだ。
「町の中をお探しだったんでしょう? それなら見つからないはずだ。彼の屋敷ならほら、あそこですよ」
そう言って、青年は窓の外を指差した。
宿屋を探しているうちにすっかり日が暮れてしまっている。窓から見える町は、夜の活気が満ち始め、空には、既に星たちが輝きだしていた。
「――――え?」
青年の指し示す先を見たシズクは、思わず声を漏らしてしまった。
彼が示した先にあったのは、賑やかな町に立つ屋敷ではなかったのだ。それは切り立った崖の上にそびえる――城だった。
……城だ。間違いなくどうしようもなく城だ。
月を背景に悠然と崖の上にそびえ建つそれは、到底屋敷などと呼べるレベルではなかった。
「大きなお屋敷でしょう? あまりに大きなものだから、町の人間からは『魔道士の城』と呼ばれているんですよ」
驚いている一行の様子に、青年は満足そうに笑って言った。
町の中にあるものだと思っていたのだが、まさかあんな崖の上にあったとは。
例えばあれがジョネス国王のお城です。と言われたとしても――王には失礼だが――シズクは信じていたと思う。それくらいに大きいのだ。それこそ一人暮らしには広すぎるだろう。いや、あれだけ大きな屋敷なのだから使用人もたくさんいるだろうが、それを考えたとしても、一人の魔道士が住むには大きすぎた。
いくつもある窓からは、少し青みがかかったオレンジの明かりが漏れているのが見える。魔力がこもったランプの印だ。あの部屋のどこかにアリスがいるのだろうか。シズクは、幼い頃に読んだお伽話の、悪い魔女の城を思い出した。夜の闇に浮かび上がるそのフォルムに、おどろおどろしいものを感じたからだ。
「……とんだ屋敷があったもんだな」
窓の外に浮かび上がる『魔道士の城』を見ながら、リースが小声で言った。その声には、明日対峙するであろうエレンダルへの怒りが込められていた。
翌朝、目が覚めた一行はさっそく例の『城』まで足を運ぶ事にした。
元々それが目的なのだったし、アリスの事を思うと一刻も早く行かなければいけないと思ったのだ。賑やかな町の風景を見ると、ついつい買い物に出歩きたい衝動に駆られるが、そこはアリスを助け出した後の楽しみだと思いとどまった。
……が、この城まで足を運ぶというのが、結構骨の折れる仕事だった。
屋敷がある崖のてっぺんに行くには、小さな森を抜けなければいけなかったのだ。小さいといっても森だ。急斜面で足場も悪く、視界もそんなに良くない。途中、魔物とも何度か遭遇してしまった。
そんな訳で、早朝に出発したはずなのに、シズク達が屋敷の門前にたどり着いたのは太陽も高々とのぼった、丁度お昼時くらいだったのだ。
「……ここまで来させておいて、実はこの城はもぬけの殻でした。だったりするとキレるぞ俺は」
額ににじむ汗をぬぐってから、リースが恨めしそうに言った。休憩なしの山登りは相当しんどかったらしい。
「同感。だけど、幸いな事にもぬけの殻って事はなさそうよ。庭の手入れが行き届いているもの」
その場にしゃがみ込んだ体勢で、シズクが言う。彼女とて歩き通しでくたくたなのだ。
シズクの視線の先には屋敷の門があった。鉄でできた大きな門で、人二人分くらいの高さはあるのではないだろうか。アーチの頂上付近に、厳ついライオンが彫られている。
そして、門の奥には、豊かな庭が広がっていた。
庭、といってもかなりの広さだ。その面積だけで大きな屋敷一つ分は入るんじゃないかと思う。季節の花々が咲き乱れる花壇に綺麗に先手された木々。遠くから見ただけでも植物の一つ一つが丁寧に手入れされている事が伺える。中央に位置する噴水には澄んだ、豊かな水が満ちていた。人の手が頻繁に入っている事の何よりの証拠だ。
その噴水の中央に立っている女神像の姿が、ふとシズクの目に入った。
(あれ?)
何処かで見たような顔である。柔和で自愛溢れる微笑。どこかで――
「近くで見るとなおの事広いですねぇ」
セイラの声で、シズクの思考は中断された。彼はやや上を見上げて、眩しそうに目をしかめている。
広大な庭の奥には、問題の建物の部分、つまりエレンダルが生活している部分があった。昼間なので、昨夜感じたような禍々しさは全く感じられなかった。むしろ、お伽話のお姫様でも住んでいそうな雰囲気さえする。
それにしても大きい。建物の一番てっぺんを見るには、首が痛くなるほどに上空を仰がなければならなかった。
リースが門を開けようと、取っ手に手をかけたのだが門はびくりともしない。しばらく門と格闘していたリースだったが、やがて体力の無駄遣いと悟ったのか、諦めて座り込んでしまった。
招待されたというのに酷い待遇だ。敷地に入れてももらえないのだから。それとも何か、門をよじ登って入って来いとでも言うのだろうか。
どうやって中に入るか、シズクは思案顔になっていたが、
「いらっしゃいませ」
『――――!?』
前方からかけられた声で思考は中断させられた。
いつの間にそこに現れたのやら。つい先ほど門を見たときには、建物の入り口から誰かが歩いて来る姿すら見なかったのに。次に視線を向けたときには、もうそこに銀髪の少年がたたずんでいた。本当に彼は――クリウスは神出鬼没だ。
「……てっきり入れてくれないのかと思った」
「とんでもない。大切なお客様だ、丁重にお出迎えしなければ」
嫌味っぽく言ったリースの言葉にも動じず、クリウスはその美しい銀髪を揺らすと、深々とお辞儀した。
「ようこそいらっしゃいました、我が主、エレンダルの城へ――」
芝居がかった台詞でそう言うと、クリウスは垂れていた頭を上げる。その顔には不適な笑顔が浮かんでいた。
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