追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

2.

 体格の良い男どもが、華奢な体つきの人間一人を取り囲んでいた。その数3人。彼らは皆、口元に卑猥な笑みを貼り付け、じりじりと包囲網をより強固なものへと変えるべく前進する。時々威嚇のように地を乱暴に踏みしめたり、手元の得物をちらつかせたりした。
 男達の中心に追い込まれている者は、地味な色合いの外套に身を包み、フードを目深に被っていた。外套から覗く両腕には小さな包みがしかと抱き込まれているが、それ以外の肌の露出は無い。
 フードのせいで、見た限りではその者の表情は全く読めなかったが、今が決して笑顔などを浮かべていられる状況でない事だけは確かだった。
 「――! いや!」
 ついに華奢なその手首を、体格の良い男の一人が掴みにかかった。そこで初めて、フードの人物は声を漏らす。儚く漏れ出た声は、紛れも無くその者が女性である事を物語っていた。
 「へへっ、いい声出すねぇ……どれ」
 女性の目の前に立ったもう一人の男は、にたりと笑うと、身をかがめてフードの中を覗き込む。男の視線に当てられて、女性の体は一瞬だけ大きくひきつったようだった。
 「――――っ」
 「へぇ! 随分と綺麗な顔をしているじゃねーか」
 舌なめずりをしつつ、男は女性の細い顎にごつごつとした手を添える。その隣で、残りの二人が可笑しげに笑った。
 顎に当てられた手が、指が、厭らしく動きだす。女には、まるで顔の上を蛆虫が蠢いているように感じられた。寒気が走る。
 「やめて!」
 とうとう女はそう怒鳴ると、顔をそむける事で男の手を振り払った。こういう状況での抵抗は、相手の気を立たせる事になりかねない。しかし、こらえきれなかったのだ。呼吸が荒い。自分は一体、これからどうなるのだろうか。
 「……んのアマ!」
 案の定、手を振り払った事で、振り払われた側の男の機嫌を一気に損ねてしまったらしい。男は怒り任せに手を振りかざすと、女の頬に勢い良く打ち付けてくる。とがった音と同時に、女の目の前に火花が散った。遅れて、焼け付くような痛みがやって来る。
 ぶたれた勢いで、腕で抱え込んでいた包みが落ちる。慌てて拾おうとするが、男達はそれを許してはくれなかった。
 「余計な抵抗すると、痛い目みるぜ」
 包みと女の間に立ちはだかると、平手打ちをかました奴の隣の男が、今度は女の顎に手を沿え、くいと持ち上げる。慈悲の無い、濁った視線とぶつかって、女の喉は小さく悲鳴を上げた。
 そして次の瞬間、下のほうで布が裂ける音が響く。他でもない、目の前の男が、ナイフで女の外套を引き裂いたのだ。
 「――あぁっ」
 女の白い肌が、隠す事も許されぬまま男達の前に露になる。その滑らかな肌は、暗い細道の間でも淡く輝きを放っているようであった。男達は目の前の光景にしばし見入った後、厭らしい笑いを口々に零す。
 自分は、こんな所で、こんな男達の慰み者となってしまうのだろうか。
 全身が小刻みに震え、歯がカタカタ鳴った。恐怖のあまり、少しの涙も出てこない。泣き落としする余地も、無いなんて。こんな事……

 ――あぁ、神様!

 女がそう、願った時だった。ひゅぅんと、空気が鳴ったのだ。
 一瞬気のせいだと思った。しかし、直後に、激しい突風が周囲に発生したのだ。風は地面の砂や塵を巻き上げ全身を打つ。あまりの風勢に女は思わず目を瞑った。
 「な、なんだ!?」
 男たちの声が聞こえる。彼らも風で視界を無くしたらしく、動揺した声色を上げていた。女の外套を切り裂いた男は、女にかまっている場合ではなくなったらしい。顎から厳つい手が離れると、少しだけ体の緊張がほぐれた気がした。

 「今よ! リース!」

 どこからか、甲高い声が上がる。良く通る少女の声だ。意味が分からなかったが、考える暇もなく状況は動いた。
 「ぐぁ!」
 男の悲鳴で、女は弾かれたように閉じていた目を開く。瞬間。視界に金が踊った。
 「――ぇ?」
 一瞬目がおかしくなってしまったのではないかと思ったが、それは違った。視界に広がった金は――淡い金髪だったのだ。
 うずくまる男の傍らには、少年が居た。
 「…………」
 目の覚めるような金髪に、明るいグリーンの瞳。きっちりしたスーツに身をつつみ、洗練された雰囲気を纏う。天使がそのまま空から降りてきたような、美しい少年だった。しかし、その表情は決して天使のように穏やかではない。
 「んの野郎!」
 うずくまる男は、悪態を付きながらも少年へナイフを繰り出す。少年を挟んだ向こう側からも、違う男がナイフを躍らせた。
 「危ない!」
 思わず叫んでしまった女だったが、心配は無用だったらしい。彼は軽い動きで身をかわすと、手に持った小さめの角材を、右手にいる男へと叩きつける。遅れてもう片側の男へは激しい蹴りを一発。
 そこへ三人目の男のナイフが閃いた。これにはさすがに対処しきれず、上着の隅を少しだけ切られてしまう。しかし本人は、後ろに飛ぶことで無傷であった。
 「シズク! お前もちょっとは手伝え!」
 「分かってるわよ! 『――風よ(ロウヴ)!!』」
 少年が苦々しく叫んだ瞬間。先ほどよりは弱めだが、またもや猛烈な風が、女の周囲を吹き荒んだ。再びの風になす術も無く、女はまた目を瞑る。男達も同じような様子だった。数秒の空白の後、風はまた急激に消えてしまう。注意深く瞳を開くと、今度は目の前に少女が居た。
 「!」

 『――眠りよ(リーリア)

 一人の男の肩を優しく掴むと、少女は穏やかにそう呟く。直後、肩を掴まれていた男は、呻く事も無くその場に崩れ落ちた。絶命してしまったのかと一瞬背筋がぞっとなった女だったが、よく確認して見ると、倒れた男はつつがなく呼吸を繰り返している。どうやら、単に眠っているだけらしい。
 目の前を凝視するうちに、一瞬、少女と目があった。
 (あ――)
 海の青とも空の青ともつかない不思議な色の瞳に、吸い込まれていくような錯覚が襲う。綺麗な瞳だった。しかし、こんな青は女の記憶するところでは今まで見たことが無い。神秘的な双眸の間を縫うように、こげ茶色の前髪がさらりと揺れていた。
 女が呆然としている目の前で、少年が残った男達を角材でけん制する。彼の攻撃に一人が怯んだ瞬間を、少女は見逃さなかった。小声で何事かを呟き、彼女は二人目の男の肩を掴んだのだ。

 『――眠りよ(リーリア)

 まるで母に子守唄を歌われた子供のように、二人目の男も穏やかな表情で昏倒する。麻酔針でもこうも鮮やかには行かないだろう。これはまるで――
 「!」
 そこまで来てやっと女は気付く。これが、噂に聞く『魔法』だという事に。
 (凄い……)
 女の胸中の独白にはもちろん気づく事も無く、少年と少女は息の合った攻撃で三人目の男も見事な素早さで眠りに付かせる。女を恐怖のどん底に陥れた男達三人が、まるで赤子の手を捻るかのようにあっさりと倒されてしまった。後に残されたのは、少年と少女と、そして女の三人のみ。戦いの後の、余韻のような沈黙が漂う。
 外套の破れた部分を掴んだまま、女はまず先ほど落としてしまった包みを拾い上げた。外側から確認した限りでは破損はしていないようだった。ほっと胸を撫で下ろす。
 そして安心したところで、目の前の二人の方を見入った。危ないところを助けてもらったのだ。この二人が何処の誰かは全く知らないが、恩人である事には間違いが無い。
 「あの。ありが――」
 「まったく! 結局全部わたしがとどめさしたじゃない!」
 「しゃーねーだろ! お前は素手でも魔法が使えるからいいけど、俺は今日は帯剣してなかったし!」
 急に割って入ってきた言葉で、女は感謝の言葉を思わず飲み込んでしまう。女の目の前で、少年と少女が口論し始めたのだ。彼女の存在に果たして気付いているのだろうか。両者はお互いの方へ視線を奪われてしまっている。
 おろおろしている女の目の前で、金髪少年は、不機嫌そうな様子で右手に持った角材を投げ捨てると、彼の目の前に立つこげ茶髪の少女を睨みつけた。
 「あ、あの……」
 「剣を持たないと急に使い物にならなくなるのねその右手は。剣士なら、剣を失っても素手で戦える修行をしなさい! ……と、ナーリアならこう言うわね」
 「あのなぁ。無茶言うなよ」
 「無茶じゃないわ! 鍛えたら人間なんでも出来る!」
 「それこそ手に負えないくらい無茶苦茶な理論だなオイ」
 「そんな事ないわ! 現に――」

 「ちょっとは私の話も聞いてくださいってばっ!!」

 痺れを切らして、とうとう女は大声を上げてしまった。上げてから、少し後悔してしまう。目の前で二人は見事に引きつり、その場に停止してしまっていたのだから。
 (……こ、声が大き過ぎたかしら)
 心の中だけで、反省を呟く。
 女の声は、異常によく通るのだ。目の前の少女も、良く通る声を持ってはいるようだが、それとは比べ物にならないくらいに。なんせ周囲の建物をびりびり反響させてしまうほどなのだ。夜中であるのにも関わらず、遠くの木立から、声に驚いた鳥たちが数羽飛び立って行った。
 それほどの大音量だったものだから、目の前の二人が停止してしまうのも無理は無い。
 「あ、あの……ごめんなさい」
 おずおずと、声の音声を落としつつ女は言った。
 「あ、いえこちらこそ。……えーとそのー、だ、大丈夫ですか?」
 安否を確認するには、いくらか怯えた様子で少女が言った。よほど驚かせてしまったのだろう。申し訳ないことをした。
 「私なら、大丈夫です。あの、本当にごめんなさい。大きな声を出してしまって……どうも職業柄……」
 「職業柄?」
 少女の隣の少年が怪訝な顔で呟く。言われて女ははたと気付いた。今まで自分は、ずっと目深にフードを被ったままであったことに。
 恩人の前で素顔も晒さないだなんて、なんて失礼な事を。慌てて女は、華奢な両手をフードにかける。
 「すみません、ご無礼を」
 ふぁさと、柔らかい感触とともにフードを外す。露になった頭髪に、今までフードに遮られていた分を取り返すかのように、一気に月光が降り注いだ。優しく輝く髪が、視界に入る。
 フードを被って夜道を歩くのは、女だと悟られないよう防犯の意味が強かったが、もうひとつには、この髪が夜目にやたらと目立つというのがあった。
 「あの、私は――」

 『あーーーーーーーーーっ!!』

 しかし女の言葉は、またもや二人に遮られる結果となる。目の前の少年と少女は、大声でそれだけ叫ぶと、大きく目を見開いたまま、指をこちらへ突き出し、

 『センティロメダ!!』

 全く同じタイミングで叫んだのだった。
 「――ぇ?」
 驚いた女の肩から、さらりと銀の髪が零れ落ちた。



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