追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

3.

 細い板張りの廊下に、人々が忙しなく行きかっている。頑張って避けようとするのだが、人二人がすれ違うと嫌でも肩が当たる幅しかないのだ。事実、リースも先ほどから何人かとぶつかってしまっている。そのたびに繰り広げられる謝罪の言葉にも、そろそろうんざりしてきてしまう。
 それに付け加え、だ。
 ただでさえ大分通りにくいのに、廊下の床には、たくさんの荷物やら機材やらがあちこち並んでいるのだ。足が取られて仕方がない。良く見ると、荷物のほとんどは、『舞台』に使用されていた小道具であったり、セットの一部であったりするのに気付く。他に置き場所が無いのだろう。
 まさかここに、こんな形で戻ってくることになるだなんて。
 リースは胸の中で呟いた。

 「すみません。歩きにくくて……」
 前方を行く女性は、こちらを振り返りつつ、本当に申し訳そうな顔で謝罪の言葉を述べてくる。華奢な体つきだったが、彼女の廊下を行く足並みは慣れた風だった。すいすいと人をかわし、見知った友なのか、時々挨拶する。その中の一人に、先ほどから大切そうに抱えていた包みを渡し、そして何かを耳打ちしていた。包みを渡された女性は、急に真剣な顔になると、踵を返して劇場の奥にある廊下の方へ消えていく。
 足元に置かれている荷物類も、彼女にとっては気になるほどの障害物ではないらしかった。前を行くシズクが時々つまずいているのに対して、実に軽やかな足並みだ。
 歩きにくい廊下を苦心して進みながら、リースはつい数刻前の事を回想し始める。
 前を行く女性。彼女、確か名前はレアラと言ったか。そう先ほど自分で名乗っていたはずだ。
 軽くウェーブのかかった、豊かな銀髪が視界に踊る。先日対峙した魔族(シェルザード)の少年も銀の髪を持っていたが、その鮮やかな輝きとは少し違う。彼女の銀髪は、夜の静けさを思わせる、優しい色を帯びていた。月の子と称えられる、センティロメダ姫の名の通り――
 「こちらです」
 はっとリースが顔を上げると、レアラは一室の扉のノブに手をかけていた。表札には『役者控え室』とある。ノブをしなやかな手つきで回すと、扉はやんわりと開いて行った。目線を少しだけ下げると、シズクがこちらを振り返っているのが見える。
 「どうぞ。応接室で無いのが申し訳ないのですが……」
 レアラの声で、リースはまたもや顔を上げる。開かれた扉の先には、いくつか並んだ机と椅子が見えた。それぞれの奥には鏡。そして――

 「レアラ!」

 そう言って、先頭のレアラに駆け寄って来る者の姿があった。レアラとそう歳が変わらないくらいの背の高い男性だ。精悍な顔つきには、どことなく気品が見て取れる。
 しかし出迎えた人物の顔に、またもやリースは息をのんだ。そしてそれは、前方のシズクも一緒だったようだ。
 「エルリック王子……」
 シズクが、リースが思っていたのと全く同じ単語を零す。そうしてあんぐりと口を開けた。
 エルリック王子。それは、ヘテトロの主であり、センティロメダ姫に求婚した王子の名。
 シズクの呟きで、男性はリース達二人に気付いたようだった。レアラの手をとるのを中断し、こちらへ怪訝な視線を向けてくる。まぁ当たり前の反応といえば当たり前の反応か。
 「この方達は……?」
 言って、男性はレアラに尋ねるような視線を送る。視線の先で、レアラは少し慌てている様子だった。しかしやがて、彼女もこちらへ視線を送ってくる。
 「この方達は……私の恩人です」
 彼女がそう言ったのは、しばらく経ってからの事だった。



◇◆◇



 えぇとまず、どこから説明しようか。
 事の始まりは、リースとシズクが、街中で一人の女性を助けた事から始まったのだ。
 人通りの少ない街路で、男三人に乱暴されかけていた女性。名は、レアラ・フラール。白銀の髪に、素朴な美しさを備えた、華奢な体つきの女性である。
 しかしこのレアラという女性。確かに華奢だが、ただ者ではなかった。
 フードを目深に被っていたので最初は分からなかったのだが、その顔を見ただけで、リースもシズクもすぐに気付いた。
 彼女こそ、今宵リース達が鑑賞してきた歌劇『白銀のセンティロメダ』の主役、センティロメダ姫役を演じていた役者その人だったのだ。
 見間違えるはずが無い。舞台での彼女の姿は、感動の渦と共に彼らの胸に刻まれていたのだから。
 「……それで、夜道は危ないというので劇場まで送って下さったのよ。でも、そのままお帰り頂くのも失礼でしょう? だから、せめてお茶でもと思って、こうして控え室に……」
 言って、レアラは隣に座る男性に控えめな視線を投げかけた。視線を受けて、男は、机を挟んだ先に座るリース達を見つめてくる。そして、頭を深々と下げたのだ。
 「彼女を助けて頂いて、感謝のしようがないくらいです。本当に、ありがとうございます!」
 礼を言われたのに、リースにしてみてはなんだか複雑な心境だった。
 今目の前で頭を下げている男性。この人はレアラと同じく『劇団 青い星』の看板役者の一人だ。そう、ヘテトロの恋敵、エルリック王子役の役者である。
 高圧的で、嫉妬を絵に描いたような人物であるエルリック王子に対して、役から離れた男性そのものはというと、穏やかな気質の誠実な人物であった。そのギャップが、リース達にしてみれば意外だったのだ。隣でシズクも複雑な顔つきではぁとかまぁとか言っている。
 「申し遅れました。僕はイアン。イアン・ザヴァス。本業は役者ですが……レアラの婚約者です」
 イアンは恭しく頭を下げ、こちらへ挨拶する。その横で、レアラは頬を紅く染めていた。婚約者と名乗られた事に、気恥ずかしさがあるのだろう。しかしその表情は決して嫌そうではない。
 まぁつまり、目の前のこの男性、イアンはレアラの恋人という訳だろう。それを知ると、レアラを大層心配して、彼女を助けたリース達に、頭を下げて礼を述べてきたのにも頷ける。
 「リース・ラグエイジです。それと……こっちのちっこいのがシズク・サラキス」
 とりあえず、向こうにばかり名乗らせるのは悪いと思い、リースも自己紹介をする。ついでにシズクの分も言ってやったのだが、どうも『ちっこい』あたりが気に入らなかったらしい。シズクは、半眼になって不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。『童顔』と紹介しなかっただけ、まだ良心的だと思うのだが。
 「なんだよ」
 一応半眼になっている理由をきいてみる。
 「べっつに! 嫌味なリースさんには、やっぱり優しさのかけらも無いのね。って思っただけ!」
 あからさまに膨れ面を作ると、シズクはそう言い捨てた。『やっぱり』の部分を特に強調して。
 「……ふふ、仲がよろしいんですね」
 目の前にいるレアラはというと、リースとシズクの様子を、まるで微笑ましいものでも見るかのような表情で見つめ、そして笑っている。
 「二人で私達の歌劇を見に来てくださっていたみたいですし。……あなた方もそういう仲なのかしら」
 「…………」
 くすくす笑って言うレアラの言葉に、リースは一瞬、耳を疑った。いや、本当におかしくなったのではないだろうか。彼は目を見開き、あんぐり口を開け放つと、目の前のレアラを凝視する。
 しかし、そんなリースの変化に、レアラとイアンは不思議そうに首を捻っただけだった。何かおかしな事を言ったのか、というように。
 (そういう仲って? ……まさか)
 眉間にしわを寄せて考えるも、答えはそれしか見つからない。
 (……おいおい。よりにもよってこいつと?)
 驚愕の表情で、隣に座るシズクを見る。
 旅の道中、アリスと恋人同士に間違われた事は数多くあったが、まさかこの童顔魔道士とそう思われるだなどとは、夢にも思っていなかった。そして同時に、激しく不満でもある。童顔のこいつと自分が同程度に見られたような気がしたからだ。
 「そんなんじゃ――」
 「わたしとリースはただの旅を共にする仲間ですよ。そんなんじゃありません」
 リースが言いかけたところを遮って、シズクは、まさしくリースが言おうとしていたものと同じ内容の事を言い放った。
 「第一……」
 きょとんとしているレアラの方へ、顔の向きはそのままに、シズクは横目でリースを睨むと、
 「こんな奴、こっちが願い下げです」
 嫌っそうな顔で、そう言い捨てる。先ほどの仕返しのつもりか。
 「俺だって、お前みたいな童顔女は趣味じゃねーよ」
 負けじとリースも吐き捨てる。そうして、視線のぶつかり合いが始まる。両者の視線の間で確かに今、火花が散った。
 「ふふ……本当に仲がよろしいんですね」
 しかし、そんな二人のやりとりに、レアラはさらに可笑しそうに笑っただけだった。

 「それにしてもレアラ。僕は常々夜は出歩くなと言っているじゃないか。また約束を破ったね」
 軽い沈黙があったのを見計らって、イアンがそう切り出した。その声色は決してきつくはないが、視線がレアラに問いただすような光を投げかけているのが分かった。視線の先で、レアラはぎくりと体を引きつらせる。
 先ほどから彼女は、何かを恐れているような様子だったのだが……原因はこれか。と、リースは人知れず胸中で納得する。まぁ確かに、女性の夜間の一人歩きは危険極まりない。
 「ごめんなさい。その……リアラの薬を買いに……」
 「いくら妹が心配だからって、自分の身を危険にさらすのは良くない。なんなら僕に頼んだら良かったのに」
 おどおどしながら謝るレアラに、イアンは呆れた様子でため息を零す。
 「変な連中が君を狙っているんだ。これで何度目だと思う? 三度目だよ。しかも、今回は本当に危なかった」
 「……ごめんなさい」
 それしか言葉を知らない子供のように、レアラは謝罪を繰り返す。その表情からは、先ほどの微笑はすっかり抜け出てしまっている。しかしイアンの言葉に、リースは驚愕した。
 「三度目?」
 思わずそう零す。
 リースの言葉にイアンは視線をこちらに向ける。そして眉間に深い皺を刻むと、軽く手を組む姿勢を見せた。
 「えぇ、三度目。この町で公演し始めて二週間たつのですが、その短期間に彼女は三度も何者かに襲われているんです」
 言うイアンの瞳には、犯人への怒りと、レアラを心配する思いが浮かぶ。隣で、レアラが身を縮ませるのが分かった。
 「レアラの双子の妹……リアラと言うんですけど。彼女、生まれつき体が丈夫な方じゃなくて。夜中に熱を出したりすると、その度にレアラに薬を求めるんです」
 今日もレアラは、妹のために町まで薬を買いに走ったのだという。その帰りに男達に出くわし、襲われた。そして、リース達に助けられたという訳だ。さきほどレアラが団員の女性に手渡した袋の中身が、おそらく妹への薬だったのだろう。とリースは回想する。
 「まぁ、彼女は役者なので、行き過ぎたファンによる付きまといも無いわけじゃないのですが……今回はちょっと様相が違う。いくら物騒な夜の通りだからと言っても、ジュリアーノの街自体はそれほど治安が悪くないはずなのに」
 だからイアンは、何者かがレアラを標的にして、ごろつきをけしかけていると踏んでいるのだそうだ。対するレアラの方は、のんきなもので、ただ運が悪かっただけだと主張しているが。
 なんにしても、三回も襲われたのだ。イアンはレアラに、夜間の一人での外出を禁じるよう約束させた。しかし、彼女の妹が熱を出すたびに、今日のように一人で夜の街へと飛び出してしまうのだとういう。特殊な薬らしく、保存がなかなかきかないのだそうだ。だったらイアンに同行を頼むべきだと言っても、人にものを頼むのが苦手な性分らしい。結局一人で出てしまう。
 「……それはまた、困った話ですね」
 イアンの話を聞くうちに、シズクはそう零すようになった。もちろん、同情の視線をイアンに向けて。
 レアラという女性は、妹思いで人は良いのだろうが、自分に厳しすぎるというか、危機感が無いというか。
 イアンにしてみれば、深刻な問題だろう。婚約者である彼にも、頼ってきてくれないのだから。
 だからきっと、あんな事を言い出したのも、無理も無い話なのだろうと思う。
 ため息をついて沈黙するイアンの視線が、ふと、リースとシズクの方を向いた。そして彼は、目を見開いて、あ。と言ったのだ。まるで、素敵な考えが閃いた子供のように。
 「そうだよ。最初から頼んでおいたらいいんだ、僕が……」
 「?」
 首を捻る三人の前で、イアンは独り言を零す。しかしやがて、確信めいた光をその瞳に宿して、真っ直ぐにリース達を見据え、こう言ったのだ。

 「あなた達。レアラの護衛を、引き受けて下さいませんか!?」



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