追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

4.

 まさか、こんな巡りあわせがあるなんて。
 人と人の縁なんて、どこでどう繋がるなんて分からないものである。今日の出来事で、シズクはそれを、つくづく実感させられていた。また、自分はとことん人から頼まれ事をおしつけ……いやいや、申し出られやすい、とも。



 二度目のジュリアーノ劇場を出た時は、既に日付が変わった後だった。月が、大分高い位置までのぼってしまっている。
 何の連絡も無しにこんな時間まで外出してしまったのだ。きっとセイラもアリスも心配しているだろう。しかし、早く帰らなければと思っても、ここから宿まではそれなりに距離があった。心だけが焦って、シズクは軽い苛立ちを覚える。だが、シズク達をこんな時間まで引き止めた原因を、責める気にはもっとなれなかった。

 「本当にすみません! こんな時間までお引き止めしてしまって……」

 本当に申し訳なさそうに、レアラがシズク達に頭を下げてくる。社交辞令などでなく、心からシズク達にすまないと思っている表情だ。いくら役者の彼女といえども、これが演技だとは思えなかった。だからとても、責める気分にはなれない。
 「あと、その……イアンの言っていた事は気になさらないで下さい。彼ったら無茶な事を。忘れてくださって結構ですから」
 力強く言うと、レアラはシズクと視線を合わせる。月光が反射して、彼女の銀髪はきらきら輝いていた。
 一方のシズクは、曖昧に笑うと、困ってしまって目でリースへ助けを求めてしまう。彼は、少しだけ面倒そうな表情を作ったが、
 「……同行人があと二人居るので、可能かどうかきいてみます」
 シズクに応えて、そうやんわりと言ってくれた。
 「その結果を、明日またこちらに知らせに来ますので」
 リースの言葉に、レアラははぁとだけ呟くと困惑気味に瞳を伏せる。そうすると、銀色のまつ毛がよく見えるようになって、彼女はより神秘的な存在に姿を変えるのだった。舞台はもう終わったはずなのに、今この場所だけに月夜のステージが作り上げられているみたいだ。レアラの――いや、センティロメダの一人舞台。
 そんな光景をぼんやりと眺めながら、シズクは心では別の事を考えていた。今回のこの依頼の件をセイラ達に話したら、一体どんな反応をするだろうか。と。
 シズクは今、セイラに同行を依頼されている魔道士であり、リースはセイラの護衛だ。一つの依頼を放棄して、もう一つの依頼を請ける事は、普通一般的には考えられない事である。だからおそらく、イアンの依頼を請ける事は本来ならば不可能なのだ。
 シズクとしては、自分が人様の護衛などを引き受けられるレベルの魔道士ではないと自覚している。今回のレアラの場合はたまたま、相手が弱かったという事もある。だから、正直言ってレアラの護衛を勤めあげる自信などないのだ。事実、イアンの依頼を請けるのが不可能な自分達の状況に軽く安堵している面もある。しかし一方で、何とかならないものかと思案している自分がいるのだ。
 その気持ちの根源は、イアンのレアラを想う気持ちに打たれたというよりは、シズクが個人的にレアラの身を案じているからだと思う。
 先ほどのレアラの状況を思い出して胸が痛くなった。妹思いで、あんなに綺麗な人が、傷ついて欲しくはないと思う。
 そんな、二つの相反する気持ちが、シズクの胸をかきまわしていた。



◇◆◇



 「いいんじゃないですか? 別に」
 「……は?」
 目の前で満面の笑みを浮かべるセイラを凝視して、シズクとリースは間抜けな声を上げた。シズク達だけではない。その隣で座るアリスも呆けた表情を浮かべている。
 「セイラ? 今、なんて?」
 「だから、いいんじゃないですか、と。依頼されたのでしょう? 請けたらいいじゃないですか」
 リースの問いに、セイラは間髪居れずに即答してくる。実に楽しそうな表情だ。これはきっと、この状況を楽しんでいるに違いない、とシズクは思う。
 一週間以上セイラと同行するうちに、完全とはいえないが、シズクもセイラの表情分析力に大分磨きがかかってきた。セイラの場合、喜怒哀楽で感情を示すというよりは、笑顔でほとんど全ての感情を表していると言ってもいい。怒ったような笑顔のときもあれば、本当に心から笑っている笑顔のときもある。
 ……もっとも、こんな物を鍛えたところで、肝心のセイラの奇行をどうにかできるかというと、そうは行かないのだが。
 事実今まさに、セイラは奇行に及ぼうとしている。

 宿屋に戻り、シズク達がセイラとアリスに今宵自分達の身にふりかかった事件の一部始終を話している時だ。イアンから持ちかけられた依頼の内容を話すうちに、セイラの口から先ほどの言葉が飛び出していたのだ。すなわち、依頼を請けても良いと。
 「あのなぁセイラ。俺達はあんたに護衛を依頼されている身なんだぞ? それを――」
 「僕は別に構いませんよ」
 「な――!」
 好青年スマイルを前面に押し出した状態でセイラはそう言ってのける。
 「どうせ暇を持て余しているのでしょう。だったら、人助けに時間を割くのもいいじゃないですか」
 「確かにそうだけど……」
 暇を持て余しているのは確かだ。セイラとアリスは毎日事情聴取に赴いており、二人が自由にならない限り、旅を再開させる事はできない。二人の話を聴く限り、事情聴取にはまだしばらくの時間を必要とするらしい。エレンダルの事件について、少しずつ真実が明らかにされつつあるが、まだ捜査は始まったばかりなのだ。
 「どうせしばらくジュリアーノを発つ事は出来ないのですし、その間にレアラさんを襲った首謀者を捕まえればいいんですよ」
 ……んな無茶苦茶な。
 いくら事情聴取だからって、一ヶ月も二ヶ月もかかる訳では無い。おそらく今週中には終わるだろう。そんな短期間で、一つの事件が片付くのかというと難しい気がする。
 そう思ったが、確かにレアラの事は気になっていた。今夜のような事がもう一度あって、シズク達のような人間が通りかからなかった場合、彼女はきっと深い傷を負うことになってしまう。……傷ついて欲しくは、ない。
 「そうは言われてもなぁ……」
 頑として反論を受け付けないセイラの態度に、リースも困惑気味だ。さすがの彼も、まさかセイラがここまであっさりと、イアンの依頼を請ける事を了承するとは思っていなかったらしい。というか、普通は了承しないものだと思う。セイラが特殊なのだ。
 「とにかく、明日劇場へ行って依頼を請ける旨を伝えてきなさい。これは僕からの命令です」
 「はぁ!?」
 ニコニコしながら言ったセイラの言葉の内容に、リースはあからさまに顔色を変える。身を乗り出すと、彼はセイラに詰め寄った。
 「命令って! おいおい、いつからそんな事に――」
 「おや? 依頼主の命令がきけないと言うんですか?」
 「――――」
 普段、身分を振りかざしたり、立場の上下を利用したりする事など絶対にしないセイラだったが、こういう、彼にとって面白そうな内容に関しては、おしみなくそれを利用するという困った癖がある。この人にこんな話をすべきではなかったのかも知れない、とシズクは人知れず思った。
 「いってらっしゃい。心配しなくてもしばらく事情聴取は終わりません、安心して下さい」
 邪悪な好青年スマイルを浮かべて言うセイラ。シズクとリースは疲れた様子で互いの顔を見やると、ほとんど同時にため息をついていた。



◇◆◇



 そんな訳で、セイラに言いくるめられたシズクとリースは、翌日ジュリアーノ劇場を訪れる事になった。リースとしては相当不満、シズクとしては相当不安な事だったが、セイラにああまで言われては仕方が無い。確かに暇を持て余しているところだったし。何よりも、レアラの身が危険にさらされているかもしれないというのが心配だった。

 「本当ですか!?」

 目を歓喜の色に染めて、目の前にいるイアンが言う。
 彼に詰め寄られて、シズクは大いに怯んでしまった。彼の気迫が凄かったからではない。着ている服が、歌劇『白銀のセンティロメダ』の敵役、エルリック王子の衣装だったからだ。肩や胸元から派手な飾りがジャラジャラと垂れている、いかにも王子様といった派手な衣装。更に、こうも接近されると、イアンの顔に舞台用のメイクが施されているのも細部まで確認できてしまう。なるほど、威圧的に見えるように目じりのアイラインが強調されている。
 シズクとリースが劇場を訪れたのは、昼の部の本番前だったのだ。楽屋に通された時には、既にイアンはこの姿だった。あと数十分で、彼らは舞台に出るのだという。あんな派手で力強い舞台を一日に二度もこなすのだ。役者とは、相当な体力と気力が必要とされる仕事であると思った。
 「ホ、ホントです。同行人には許可を貰いましたから……」
 イアンの迫力にどぎまぎしながら、シズクはなんとかそれだけ言う。背後でリースが白けた表情を浮かべているが、仕方がないじゃないか。こんな格好で、劇団のスターとも言える人物に近寄られるのだ。一般人ならば誰でもうろたえる。
 「ありがとうございます!!」
 一方のイアンは、シズクの様子などさほど気にする様子もなく、大声でそれだけ言うと深々と頭を下げてきた。ぎゃあっと心の中だけで悲鳴を上げる。
 「ありがとうございます、本当に。あの……よろしくお願いします」
 少しだけ顔を上げると、イアンは不安そうにシズクとリースの顔を交互に見てくる。王子の格好をした彼がそんな顔をすると、なんだかちぐはぐな印象を受ける。そもそも、王子が民衆に頭を下げるなんて構図が変だ。……まぁ、イアンは本当の王族ではないのだが。
 ここまで真剣にお願いされてしまったのだ。最初は不安だらけだったシズクも、イアンの真摯な表情を受けて、身が引き締まる思いだった。シズク自身が自分の事をどう思っていようと、彼にしてみれば魔法を使える自分はとんでもなく強い人間に見えるのだろう。見込まれて依頼されたのだ。真剣に取り組まなければ。そう決意を固める。
 「正直、昨日の僕の発言は軽率だったと思っていたんです。ご無理を言ってしまって……でも、本当に請けてくださるとは……なんとお礼を言ったら良いか」
 「そ、そんなに気になさらないで下さいよ!」
 恐縮しきっているイアンの様子に、逆にシズクの方が恐縮してしまう。慌てて手をぶんぶん振ると、大丈夫ですから。と念を押す。
 「突然でも何でも、依頼を請けたからにはそれに答えるのがこちらの役目ですよ。あなたはゆったり構えて下さればいいんです」
 後方からリースもそう助け舟を出してくれる。彼の言葉に、イアンは幾分落ち着いたようだった。しばらくリースの方へ視線を固定したままだったが、やがて目線をはずすとため息を一つつく。
 「……ゆったり、か」
 ふっと悲しげな笑みを零すと、彼は落ち着かない様子で手を組む。
 「そう出来たらいいんですけどね……僕はね、最近つくづく自信がなくなっている」
 「……え?」
 それまでとは声色を変えたイアンの声がシズクの耳に届く。シズクは慌てて彼を見つめるが、イアンは少し、自嘲的に笑っていた。
 「レアラを守れない自分も情けないですが……彼女は妹に執着しすぎる。いつでもリアラが最優先だ。僕よりも彼女自身よりも、もちろん自分の舞台よりも。……時々僕は、本当に彼女の婚約者なのだろうか。と思うときもあるんですよ」
 「…………」
 「……なんてね。すみません、今のは忘れて下さい。つまらない嫉妬話です」
 なんともいえない表情のシズクとリースの心情を悟ったのか、取り繕うようにイアンは笑うと、先ほどまでの王子役の顔へ戻っていた。

 「イアン、そろそろ……って――」

 イアンの楽屋の扉が開かれ、涼やかな美声が部屋に入ってきたのは、それからすぐ後の事だった。ふんわりとした花の香りに混じって、化粧品の匂いもこちらへ届く。
 声と香りの方を振り返って、シズクは一瞬、放心してしまった。それは、リースも同じであったようだ。
 「レアラさん?」
 目の前にいたのは、他でもないレアラだった。ただし、昨日の夜とその雰囲気は大きく違っている。緩くフェーブのかかった銀髪はそのままだったが、銀がかったアイラインが瞳を強調させ、唇には清楚な感じのする淡いピンクの紅が引かれていた。
 そして、白を基調とした美しいドレスに身を包んでいる。彼女は今、間違いなく白銀のセンティロメダそのものだった。
 思わず息を呑む。
 「綺麗……レアラさん。本当に、センティロメダにぴったり」
 自然とそんな言葉が出た。
 センティロメダの衣装に身を包んだ彼女は、周囲に銀のヴェールがひかれたような雰囲気をまとう。それはまるで、夢の中に突然現れた妖精のように。
 「そ、そんな事……」
 対するレアラは、それこそシズクの台詞に驚かされたようだった。顔を少しだけ赤らめると、恥ずかしそうにはにかんだ。その表情にすら、どこか洗練されている物を感じて、シズクはため息を零す。
 「レアラはセンティロメダをするために生まれてきたような女優だ、とさえ言われているからね」
 「イアンまでまた、そんな事を!」
 くすくす笑いながら言ったイアンの台詞に、レアラはあからさまに狼狽する。どうやら褒められる事は苦手なようだ。
 しかし、イアンの気持ちも分かる。こんなにも彼女は素晴らしい女性なのだ。自慢したくなるのも無理は無いだろう。
 月の加護を受けたかのような白銀の髪、透き通るような白い肌。そして、決して見掛け倒しでは終わらない、その演技力と歌唱力。物語の中からセンティロメダがそのまま飛び出して、レアラという人間が形作られたと言われても、信じてしまいそうである。
 そんなレアラだったが、イアンから、シズク達が彼女の護衛をする事を聞かされると、大きく目を見開いて驚いた様子を見せた。
 「いいん、ですか?」
 ためらいがちに、こちらを見る。もともと多い銀の睫毛は舞台化粧によってさらに容量を増している。それが、レイラの表情に艶やかさを添えていた。そんなレアラの姿に、シズクはまたどぎまぎする訳で……
 「えぇ、まぁ。わたし達なんかで良ければ……」
 何と言って良いか分からず、ぶっきらぼうにそう答えるしかなかった。



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