追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

5.

 「お前なぁ、もう少し語彙力ってもんを養った方がいいぞ?」
 心底呆れた顔で、ため息をつきつつリースがシズクに言ってきた。
 先ほどのイアンやレアラとのやり取りを見ての感想だろう。どもったりおどおどしていたりで、シズクはちっとも彼らと会話が成立していなかった。そう言いたいのだ。
 普通の人となら、シズクも初対面でも割と平気で会話ができる。店員と値切り交渉するのも結構得意だ。だが、レアラとイアンは普通の人ではない。彼らはスターなのだ。今日の舞台衣装を着こなす彼らを見て悟った。そこら辺に居る町人などとは大きく違う、レアラ達はカリスマ性さえ漂わせる人物なのだ。近寄りがたいというか、住む世界が違うというか……だから、どう接して良いのか分からなくなってしまう。いつもどおりで良いのだろうが、彼らを前にすると、その『普通』を忘れてしまう。シズクもミーハーな一般人の端くれという訳だ。
 「うぅ……」
 言い訳はたくさんあったが、言われた事はずばりなので、シズクは反論できなかった。気まずそうな顔で、机をはさんで目の前に座る金髪少年の方を見る事しか出来ない。
 場所は、劇場の談話室だった。
 役者達が稽古の合間やフリーの時間などに会話を楽しんだり、演劇に対する意見を戦わせたりする場所だ。今はほとんど人は居なかった。本番が始まっているからだ。
 レアラたちは今頃は舞台の上だろう。白銀のセンティロメダ昼の部が公演中なのだ。平日で昼というのに、客席は見事なまでの満席だそうだ。
 イアンの指示で、シズク達は本番が終わるまでの間、劇場で時間をつぶす事になった。プライベートゾーンを除いて劇場内は自由に行き来しても良いという許可をイアン達から貰っていたので、劇場内を散策しても良かった。しかし、地図も持たずに広い場内を歩き回って万が一迷ったりなんかするとあまりに間抜けだったし、今は本番中だ。他の役者や劇の裏方達に迷惑にならぬよう、こうして談話室に引っ込んでいるという訳だ。
 「だったら、リースが全部喋ればいいのに」
 反論の言葉をいろいろ捜したが、結局中途半端な意見しか出せない。そんなシズクの言葉にリースはため息を一つ零した。
 「……それでもいいけど、お前将来はフリーの魔道士になるんだろ? 依頼人との交渉が出来なくていいのかよ」
 リースの更なる突っ込みに、シズクは言葉に詰まってしまう。先ほどからのリースの態度は大いに気に入らないが、言っている内容はどれも憎らしいくらいに正論で、悔しいかなシズクは未だにきちんとした反論が出来ていない。
 そうそう。悔しいといえばもう一つ。
 レアラやイアンの前で、どもりにどもっていたシズクだったが、じゃあリースはどうだったかというと、意外や意外。初対面で、しかも有名人のレアラやイアンとも、臆することなく会話をすることが出来ていたのだ。というか彼の態度には、どこか慣れた感じさえ漂っていた。
 外交に関しては、自分の方に利があると思っていただけに、正直、物凄く悔しい。
 リースに対する認識をまた一つ、改めねばならぬようだ。自分はつくづく、彼について何も知らない。
 と、そこまで考えてふと思うことがあった。
 「――そういえばさ」
 「?」
 不思議そうな表情を向けてくるリースに、シズクは今しがたふいに浮かんだ疑問を正直に投げかけてみた。
 「リースとセイラさんって、一体どんな関係なの?」
 「……は?」
 返ってきたのは、間抜けな返事だった。いや、返事と呼ぶ事さえおこがましい。しかし、それにはかまわず、シズクはとりあえず言葉を続ける事にした。
 「いや、忘れがちだけど、セイラさんって凄い人物なんだよなぁって思って。そんな人と呼び捨てで呼び合う仲だし。そういえば、イリスピリア出身のリースが、なんでセイラさんの母国であるレムサリアに居たりするの?」
 それは、以前から不思議に思っていた事だった。セイラは水神の神子だ。世界で最も高貴な身分の人間の一人に値するはずだ。彼の身分を知った途端、急に態度を変える人間は多い。それがどうだ。リースだけは、セイラの身分を知っているにも関わらず、見事にため口なのだ。
 リースが敬語を使えない人間だからという訳では決して無いだろう。時々ふてぶてしい面もあるが、彼は基本的には初対面の大人に対して敬語を用いる。礼儀も正しい方だと思う。事実、カルナやナーリアに対してもそうだった。その点が、つくづく謎だったのだ。
 そんな事を頭に思い浮かべつつ、シズクはリースの方を見つめてみた。しかし、リースの様子を確認してすぐに、これはもしかしたらきいてはいけない質問だったのかも知れないな。と内心思ってしまった。
 目を瞑り、とんでもなく嫌そうな顔をしていたのだ。綺麗な顔が台無しだ、と思うくらいに。
 「リース?」
 「…………」
 とりあえず呼びかけて見るが、返事は無い。
 眉間に皺を刻んで黙り込んだままのリースを見て、シズクはリースを怒らせてしまっていたらどうしようと不安になってきた。プライベートな話題だ。気に障るような内容だったのかも知れない。自分も先日、リースに自分の過去について触れられて機嫌を損ねたところだったではないか。これでは人の事を言えないかもしれない。そんな事を考えた。
 しかし、シズクの心配はどうやら杞憂に終わったようだった。
 「……腐れ縁ってヤツだな」
 眉間の皺は消えて居なかったが、リースはいつもと変わらない調子でそう言ったのだ。
 「え?」
 「だから、腐れ縁だよ。俺とセイラの関係。セイラはな、俺の親父との古くからの友人なんだとよ」
 「……へぇ」
 呆けた顔で、シズクはそれだけ言った。
 腐れ縁とは……。それに、リースの父親とセイラが友人同士だったとは初耳だった。そもそも、リースの家族について、彼の口から語られた事はない。
 まぁ、それはアリスやセイラにしても同じであったし、第一、シズク自身に肉親と呼べる人が居ないので、自然とそういう話にならなかっただけなのかも知れないが。
 「今回俺がセイラに同行するハメになったのも、親父の指示だよ。水神の神子をイリスピリアまで連れて来いってな。まったく、人使いの荒い……」
 「ってことは、リースのお父さんってイリスピリアの人なんだ」
 「まぁな」
 そう言って、リースは軽く息をついて椅子の背もたれに体重をかける体勢になる。
 対するシズクはと言うと、少し意外な心境だった。
 セイラやアリスと古くから付き合いがありそうな感じからして、リースはずっとレムサリア国に住んでいたのだと思っていたのだ。しかし、どうやらそうではなかったらしい。リースはイリスピリア出身であり、更に未だにイリスピリア国民でもあるという訳だ。
 「わたしって、まだ何も知らないんだなぁ」
 シズクも、リースのように椅子の背もたれに体重をかけると、誰にとも無く呟いた。ほとんど独り言といっても良い。
 「何が?」
 「リースについてよ」
 くるりと視線を彼のほうへ向ける。もうリースは不機嫌そうではなかった。
 そう、本当に何にも知らない。リースについて自分が知る内容は、あの旅立ちの日に彼自身から教えられたプロフィールだけなのだ。リースとそれぞれお互いの事について話を深めた事もなければ、シズク自身がそういう事にあまり興味を示してこなかった。
 ……まぁ、口げんかする機会はたくさんあったが。
 それだけ今までのシズクには心の余裕が無かったという事だろうか。
 なんだかんだ言っても慣れない旅だ。ずっと緊張していたのかも知れない。
 「それはお互い様だ」
 ぼんやりそんな事を考えていたシズクの耳に、リースの声が飛び込んできた。
 「俺だって、お前の事は名前と歳、あとはちょっとした肩書きくらいしか知らねーよ」
 「あ、そっか。お互い様だ」
 言われて納得する。それもそうだ。リースについてシズクはほとんど何も知らないが、同じくらいリースもシズクについて何も知らないだろう。シズクの過去について知っている分、ほんの少しだけ、リースの方が知っているといった程度だろうか。
 そんなので、今までよく一緒に旅をしてこれたなぁ、と思ってしまう。水神の神子の関係者だ、怪しい者では決して無いだろうが、言ってみればリースやアリスは、シズクにとって素性が謎の他人なのだ。同年代だから仲良くなりやすかったという面もあるだろうが、彼らみたいな美少女と美少年、普段のシズクならば敬遠してしまう部類である。そういえばシズクは彼らについて不信を抱いた事は一度も無かった。
 彼らに認められているかどうかで悩んだ時期もあったが、例のエレンダルの一件後は、そんな事で頭を悩ませたりもしなくなった。
 な、なんなのだ、この適応力。
 「なんだか……」
 「?」
 ぽつりとシズクが零すと、リースが不思議そうな視線を向けてきた。その瞳と視線を合わせながら、今思っている事を考えていたら思わず噴出しそうになってしまう。
 「いや、なんだかね。リース達とそこまで付き合い長くないはずなのに、もうずっと前から知り合いだったような気がしてくるなぁと」
 口に出すと、益々笑いがこみ上げてくる。こらえきれずにとうとう、シズクは吹き出してしまった。
 「……なんだそりゃ」
 笑うシズクを、何がそんなにおかしいのかとでも言いたそうな表情で、リースが言う。
 「それだけ入り込みやすかったって事よ。アリスもリースも、見た目と中身が一致しないもん。見た目は王族かとでも疑いたくなるような感じなのに、中身は意外に庶民よね」
 半笑いの状態でシズクがそんな事を言ったものだから、対するリースは益々呆れた表情を強くした。
 「……褒められているんだかけなされているんだか」
 「褒めてる事にしといて」
 「……へいへい」
 呆れた表情は残っていたが、リースは苦笑いになると軽いため息を零した。
 不思議と和やかな雰囲気になる。
 旅の道中、最初のうちは2人の関係はぎくしゃくしていた。まぁ今も口げんかはしょっちゅうだが、一つの時間をゆっくりと共有できるまでになっている。そう思うと、シズクの心にはなんとも言えないむずがゆい気持ちが沸き起こった。

 だが、和やかな時間は長くは続かない。

 キィっと談話室の扉が開く音が聞こえると、シズクとリースの視線は自然とそちらへ向いた。
 「?」
 まだ、劇は上映中である。役者や裏方達は、本日の舞台を最高のものにするべく、心血を注いでいる真っ最中のはず。
 そんな時に、この談話室を訪れる人間がいたのだ。
 今日の舞台に出ない役者や裏方だろうかとも思ったが、シズク達の視界に入った人物は、今ここには決して居てはならない人だった。
 なぜなら彼女は――
 「レアラ……さん?」
 引きつった表情のまま、シズクは、目の前に立つ銀髪の美女の名をその口に刻んでいた。



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