追憶の救世主
閑話「白銀のセンティロメダ」
6.
「レアラ……さん?」
そう紡いだ声は、少しかすれていた。
目の前に立つ人物。すらりと伸びた四肢に、長いまつ毛がかかる儚げな瞳。わずかに光り輝いているような錯覚さえ覚える白い肌、そして、センティロメダ姫を髣髴とさせる、ゆるくウェーブのかかった月色の髪。
見間違いようが無い。
「レアラさん?」
そう、歌劇『白銀のセンティロメダ』の主役、レアラ・フラールその人。
彼女がなんと、普段着極まりない格好で談話室に現れたのである。彼女が主役の舞台は、今まさに公開中だというのに。
非常事態に、リースも思わず席から立ち上がる。
2人は驚愕の表情で、目の前に佇むレアラに視線を浴びせた。対する彼女の方はと言えば、なんとも不思議そうな表情でこちらを見つめてくるのだ。それも、至極ぼーっとした様子で。
「レアラ?」
自身の名前を呟いても、彼女は不思議な表情を崩さない。それどころか、考え込む仕草すら見せ始める。
「?」
さすがに様子がおかしいと思いだし、シズクとリースの2人は首を捻った。
目の前のこの女性はどこからどう見てもレアラである。それなのに、呼びかけた後の彼女のこの反応は何だろう? まるで、彼女であって彼女でないような――
「あぁ、あなた方が!」
思考をめぐらせているシズクの目の前で、レアラと思しき女性は突然そう言った。キラキラと瞳を輝かせながら、彼女は満面の笑みを浮かべる。対するシズク達はというと、全く意味不明で首をかしげるばかりであった。
だが、次の彼女の言葉で、が点がいった。
「私、レアラの双子の妹、リアラです。姉を助けてくださった方達ですよね?」
◇◆◇
こぽこぽと、湯の零れ落ちる心地よい音がする。続いてその後にふんわりと優しい香りが立ち、それがシズクの鼻をくすぐる。
「どうぞ」
柔らかくそう言って、彼女はシズクとリースに一杯の茶を振舞ってくれた。
次いで彼女自身もシズク達の目の前の席に腰掛けると、自分用のカップにも茶を注ぐ。
目の前の銀髪の彼女。名はリアラ・フラール。そう、レアラの双子の妹である。
双子だけあって、外見はレアラと非常にそっくりだった。実際、先ほどシズクとリースは彼女を現在舞台に出ているはずのレアラと間違って、軽いパニックを起こしてしまったばかりだ。
だが、近くで彼女をよく見ているうちに、シズクはリアラとレアラの微妙な違いに気付きつつあった。
まず、リアラは非常に華奢だ。レアラにしたって華奢だが、それは女性的な華奢さというか何と言うか。とりあえず、健康的なのだ。だがリアラは違う。彼女のそれは、触れたら壊れてしまうんじゃないかと思わされる儚いタイプのものだった。悪く言えば不健康そうな印象。
イアンの話では、非常に病弱な人なのだという。そこからくるものも少なからずあるのではないかとシズクは思った。
そして二つ目に、彼女のまとう雰囲気がレアラとは明らかに違っていた。
レアラは決して自分を飾ったり、威張ったりする事などない人だ。それなのに強く光り輝いている。スター性を伺わせる、一種のカリスマを帯びているのだ。
対するリアラはどうだろうか。少なくともシズクの中では、レアラのような力強い輝きは感じられなかった。どちらかというと、陰ながらひっとりとした光を放つような感じ。カリスマ性は無いが、堅実で頑なな輝き。そんな雰囲気だった。
「あの……本当にありがとうございました。姉を助けていただいて」
茶を飲んで一息ついたところで、リアラは改めてそう言った。レアラより儚さを漂わせる瞳でシズク達を見つめてくる。純粋な輝きを宿すその光に、シズクは息を呑んだ。
決してうわべだけで礼を述べているのではなく、本心からの言葉。そう思えたからだ。
「姉から話は聞いています。大層腕が立つそうですね」
そう言って、リアラはにっこりと微笑を浮かべる。笑顔だけは例の儚さを全く感じさせない、レアラと瓜二つの優しいものだった。だが、シズクは彼女のセリフに大いに慌ててしまう。
「そ、そんなことないですよ!」
軽く赤面しながら、全力で否定をしてしまったくらいだ。
しかしそんなシズクの様子を見ても、リアラは笑うばかりだった。きっと、謙遜としか受け取ってもらえていないのだろう。シズクにしてみれば、謙遜どころか本心そのものなのだが。
「それにシズクさん。あなたって、魔道士なんですよね!」
尊敬の意を瞳に浮かべながらそんなことを言われたときには、シズクは叫びそうになった。リアラの表情が、おとぎ話のヒーローを夢見る子どものそれと、少しも違わなかったからだ。
無理も無い。魔道士は珍しいのだ。戦闘経験を積んだ戦士ですら、会ったことが無いというのがざらである。シズクの環境が特殊なだけなのだ。
シズクは、物心ついた時から既に魔法を使えていたし、魔法学校という場で育ったために、周囲は魔道士以外に存在しなかった。たまに学校を抜け出して街に繰り出す事もあったが、自分の素性は町人のほとんどは知らないでいる。唯一彼女の素性を知る町人は、マジックショップの主人のみ。つまり、魔道士だ。
そんな環境で育ったシズクだ。魔道士を珍しがる人の気持ちなどは分からない。いや、そういう反応の行動原理は分かるが、同じ気持ちにはなれないと言った方が正しいだろうか。
思えば、シズクは今まで魔法学校から外へ出たことは無かったのだ。だから、魔道士を珍しがったり凄いと思ったりする一般人と触れ合ったことなどこれが初めての経験だ。
要約するとつまり、自分に対して向けられるこの種の視線に全く慣れていないという事だ。とんでもなく、物凄く……恥ずかしい。
リアラが寄せてくる視線に耐え切れず、うぅだとかうぁだとか、言葉にならない呻きを上げていたシズクだったが、
「……私、魔道士になりたかったんですよ」
「え?」
リアラのその発言で現実に舞い戻った。
「見た目はそっくりな私たちですけれど、私には姉のような演劇の才能は無いし、こんな風に身体が丈夫でないし。何も取り柄が無いでしょう? だからせめて、姉を守れるような人間になりたくて……」
さっきまでの優しい笑顔から一転して、またあの儚げな雰囲気がリアラの周囲に戻ってきていた。自分の事を語る彼女は、酷く脆いガラス細工のような印象を受ける。
「戦士は、女の身には難しいし。それにこの病弱な性質では駄目でしょう。だから魔道士。精霊と心を通わせて、人知を越える力を生み出す魔道の力。それが欲しかった――」
最後の方は、ほとんど独り言を言っているようだった。ぼんやりと悲しげにどこか一点を見つめながら、リアラはまた儚く笑った。
「あ、ごめんなさい。こんな話」
しばらくの間の後で、リアラは我に返ったように言った。悲しげな表情を苦笑いで押しつぶして。
「いえ……」
そう返してから、シズクも取り繕うように軽く笑みを浮かべた。隣を見ると、リースも同じような表情を浮かべているのが見える。
シズク達の表情を読み取って、ほっとしたような顔になると、リアラは今度は急に真剣な表情になる。意外と表情豊かな人だなと思う。
「お願いしますね」
引き締まった表情は、劇場の上の、センティロメダを髣髴とさせた。最愛の人を救うために、月へと祈りをささげる月の姫。
「……え?」
「姉を、守ってやって下さい……私には、姉を傷つける事しか出来ませんから……」
リアラの最後のセリフが、なぜかシズクの心に引っかかった。
◇◆◇
その日の護衛を終えて宿屋に帰る道すがら、シズクとリースの話題は自然とリアラの事になっていた。
瓜二つな美人姉妹が二人にとって印象的だったからかもしれない。あるいは、リアラのまとう、レアラとはまた違う雰囲気が二人の心をつなぎとめて離さないのかもしれなかった。
「いい姉妹だなぁと思うのよね。お姉さんのレアラさんも素敵だけど、リアラさんも姉想いで」
確認するように頷きながら、シズクは正直な感想を述べた。
リアラの最後のあの言葉は少し気になったが、それでも彼女が姉想いの謙虚な妹だと思ったのは確かだ。昨夜の礼を述べて来た時の表情と、姉を頼むとシズク達に頭を下げた時の表情は、決して嘘じゃない。心からの真摯な呼びかけだった。
「まぁ、確かに。そう思うんだけどな……」
対するリースは、シズクとは違ってどこか煮え切らない感じだった。うーんと唸ると渋い顔を作ってしまう。
「何かあったの?」
「いや、お前の言うとおりいい人だとは思うんだけどな。なーんか引っかかって」
それは、リアラのあの最後のセリフの事だろうか。やはりリースも気になっていたのだろうか。
「姉妹っていうには、どこか余所余所しい雰囲気があってだなぁ。うん……」
リースの口から飛び出した発言に、シズクは目を丸くした。
「余所余所しい!?」
あの二人が? 二人が一緒に居る場面を見た訳では無いが、シズクにしてみれば、むしろ仲睦まじい印象を受けたのだが。
お互いがお互いを本当に想いあっている。そういう姉妹だ。姉のレアラは病弱な妹のために薬を買いに走り、妹のリアラは、何も出来ない自分の代わりに、シズク達へ真剣な表情で姉を守ってくれと訴えてきた。これのどこが、リースの言うような余所余所しい姉妹なのだろうか。
疑問符を顔全面に浮かべつつ、問いかけるようにシズクはリースを見た。
「根拠はないけど、なんとなく。……俺にも姉が居るから」
今日のリースは、自分の発言に自信がなさそうだ。いつも飛んでくるシズクへの突っ込みや嫌味のようなキレが無い。そういうところも気になったが、しかし、今のシズクにとっての注目事項はそこではなかった。
「姉ぇ!?」
そう叫ぶと、先ほどの話題そっちのけで横を歩くリースの方へと物凄い表情を向ける。
シズクの反応を見て、リースは余計なことを言ってしまったと悟ったらしい。しまったという表情を浮かべたが、もう遅い。
「初耳! リースってお姉さんがいたんだ」
好奇心を瞳いっぱいに浮かべてリースに笑いかける。
「何歳差? お姉さんの他に兄弟は居ないの?」
リースの家庭についての話題が上るのは本日二回目だ。この一日だけで、今までの倍以上は彼についての情報を仕入れた事になるのではないだろうか。
「……2歳差。姉と俺の二人姉弟だから他にはいねーよ。兄弟みたいに育ったヤツなら居るけど」
今日のリースは、普段とは違って饒舌かもしれない。ためらう素振りは大いに見られたが、観念した様子でそう答えてくれる。しかも、意図的なのか口が滑ったのか、更なるキーワードまでつけてくれている。
「へぇぇ、兄弟みたいな、か。どんな人?」
「お前も良く知っているヤツだよ」
「え?」
「アリスは俺の又従姉妹(またいとこ)だ」
「――――!?」
言葉も無く口を大きく開けると、シズクはその場で間抜けに硬直した。
予想通りの反応だったのだろうか。固まっているシズクの瞳には、してやったりといった様子で楽しげに笑うリースの姿があった。
「俺の親父とアリスの親父さんが従兄弟(いとこ)同士なんだよ」
そうリースは注釈をいれる。
「……聞いてない! なんで今まで教えてくれなかったのよ!」
脱力したまま、シズクはリースに力なく詰め寄った。正真正銘の初耳だ。今まで一緒に旅をしてきて、今初めて知る事実。アリスの口からは、リースは幼馴染としか聞いていなかった。だが彼らのやり取りを見る限り、幼馴染というにはもう一段階新密度が上な感じだった。
それもそのはずだ。親戚同士。それも、兄弟同様に育ったのだ。ある意味お互いを知り尽くしていると言っても過言ではない。
「怒るなって。別に話す事でもなかったから今まで話さなかっただけだって」
あまりにシズクがふてくされた表情を浮かべていたのだろう。リースは苦笑いでそうフォローを入れた。
「怒ってないけど、なんか悔しい。私だけ、みんなのこと何にも知らないみたいじゃない」
そう言って、シズクは頬を少しだけ膨らませる。
今日はなんて日なのだろう。今まで、ある意味謎のヴェールで包まれていたリースの詳細情報がこれだけたくさん手に入ったのだ。リースとセイラの関係も、リースとアリスの関係も。
方や親戚同士、方や息子とその父親の友人。つまりだ。彼らは古くから内輪の仲間同士だったというわけだ。何も知らないものから見ればいびつなメンバーに見える彼らが、事情を知ってしまうといかにもといったメンバーに見えてくる。
その中で唯一、何のつながりも無くメンバーとして一緒に行動しているのはシズクだけなのだ。仲間はずれにされたみたいで、無性に悔しい。そして悲しい。
「……まぁ」
そんな感じでシズクがぶーぶー文句を垂れている時だった。リースが思い出したように、ぽつりとこんなことを漏らしたのだ。
「お前は俺らの事だけじゃなくて、自分の事も知らないみたいだしな」
「?」
突然の発言に、一瞬シズクは何のことを言っているのか分からなかった。だが、一瞬考えてすぐに結論に行き当たる。
「あぁ、まぁそうよねぇ。わたしって、魔法学校に来る以前の自分の事って何一つ知らないから――」
「バーカ。それもそうだけど、もっと身近な事についてもだよ」
「バ、バカって! ……へ?」
スパッと暴言を吐かれた事に一瞬だけムッとしたが、それ以外の言葉の方が更に気になって、シズクはきょとんとしてしまう。会話は完全にリースのペースだった。後になって思った事だが、これは、リースが自分に不利な話題を切り替えるための一種の作戦だったのかもしれない。
「身近な事?」
リースの方を見て、軽く首を傾げてみる。彼が何を言いたいのかよく分からない。シズクの視線の先で、リースは少し真剣で、そして少し呆れた表情を浮かべていた。
「お前はお前自身について自覚が足りないって事」
「はぁ?」
ぽりぽり頭をかいて、リースが言いにくそうな様子でそう言っても、シズクにはリースの言わんとしていることが分からなかった。
「自覚って何の? そりゃぁみんなの足手まといになってる事は自覚してるけど、他に何が――」
「あー、もう! それだよ! それ!」
シズクの言葉を遮って、リースが大げさにため息をつく。幾分いらいらしているような感を受けるのは、気のせいだろうか。
しかし、リースには申し訳なかったが、彼のこの反応に、シズクは混乱を深めただけだった。ますます訳が分からない。これ以外に更に何か、自覚しなければいけないことがあったのだろうか。
だが、シズクの疑問は次のリースの発言で一気に解消することになる。
「お前な! 分かんないのかよ。自分を過小評価しすぎだっての!」
「え……」
(――過小評価?)
あまりに意外な発言に、その言葉の意味が一瞬理解できなかった。
リースはと言うと、それだけ言って枷が外れたらしい。言いよどんでいた言葉を次々と紡ぎだす。
「魔力が少ないだとか、俺らみたいに戦闘慣れしてない事だとかを気にしているみたいだけどなぁ、よーく考えてみろよ。お前はさ、仮にもエリートぞろいの、国立魔法学校の生徒の1人なんだろ?」
「まぁ、そうなんだけど」
「魔法連支部は各国各街に多く存在するけど、国立魔法学校は大陸にたった13校しか存在しないんだぞ。卒業生の3人に1人が王族貴族と関わりを持つ上級魔道士になる。1000人に1人は王国史に名を刻む。世界史や伝説に名前が登場する魔道士だって多く居る。……そんな場所だ」
いいな。と凄みのきいた顔で念を押されると、シズクはもう、頷くしかなかった。
「戦闘慣れしてないのは仕方ないだろ。まだ応用課程の前半だったんだろう? 実戦を積むのはもう少し先だったはずだ。それなのに……」
そこでリースは一旦言葉を切ると、どうしたのだろう。今までの激しい喋りが嘘だったかのように突然黙り込んだ。ふいと視線をそらすと、もごもごと口ごもってなんとも複雑な表情を浮かべ始める。訳が分からない。
「……『それなのに』、何よ?」
「…………」
一応聞いてみたが、返事は無かった。
それから沈黙はしばらくの間続いた。気まずいというよりは、なんとなく歯がゆい雰囲気の中、シズクは1人、首を傾げていた。
「……見た目はガキだし鈍臭いけどな、戦い方のセンスは悪くはない。呪文のタイミングなんかは、初心者にしてはよくやってる……と、思う」
「…………」
「…………」
リースがそう言った後は、更に歯がゆい雰囲気が更に増した。永久保存してアリスやセイラに聞かせてあげたいくらいに、彼らしからぬ発言だったからだ。
「……それは、褒められてるの? けなされてるの?」
「さぁな」
軽く動悸を覚えてからのシズクの質問に、リースはそっけなく答えると、こちらに視線も合わさずにさっさと前進し始めた。口調はいつものリースだったが、少しだけ声が上ずっている事を耳で確認する。
シズクにかまうことなく、どんどん先へ行ってしまうリースをしばらく見守っていたシズクだったが。
「……ありがと」
やがて、誰にも聞こえない声でそれだけ呟いて、彼女もリースの後を追い始めた。
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