追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

7.

 それからの数日間、シズク達はレアラの護衛として毎日劇場に通う日々が続いた。
 護衛といっても、レアラの外出に付き添ったりする程度のもので、白銀のセンティロメダが公開中の今、彼女がどこかに外出する事自体珍しかったために、ほぼ暇。と言っても過言では無かった。
 そんな訳で、シズク達は一日のほとんどの時間を劇場の談話室か、レアラ達の楽屋で過ごしていたのだ。
 依頼内容に沿うような働きは一向に出来なかったが、その代わり、レアラとその周辺に関する情報には無駄に詳しくなった。
 今でこそ人気絶頂のレアラだが、その生い立ちは決して明るいものではなかったようだ。レアラとリアラは、孤児だったのだ。それも、シズクや魔法学校の戦災孤児のように、戦争で親を失った訳ではない。
捨てられたのだそうだ。物心がつくかつかないかの幼い時に。
 捨てられた原因は分からない。彼女らの記憶にあるのは、何にもない貧相な家の中の様子と、毎日口げんかを繰り返す両親の影だけだという。
 今の時代でも、そういう話は実は珍しくない。国によっては貧富の差が激しく、最下層の家庭では、養うだけの貯えがないために子供を捨てる事は結構ざらに行なわれているらしい。レアラ達が生まれたのも、そういう家庭だったのかも知れない。
 何にしても、捨てられてしまってからも生きていくには食べ物は必要だった。そして食べていくにはお金が必要な訳で、そのためには働かねばならない。体が弱く満足に働けないリアラの分も、レアラは働いた。
 そんな時だ。仕事先でたまたま知り合った人に見いだされ、レアラはミュージカル女優としての道を歩むことになる。その知り合った人というのが、劇団『青い星』の団長だったからだ。

 「――それからすぐね。3年もかからなかったわ。レアラは瞬く間にスターの座まで上り詰めたのよ。おかげで、それまで私が射止めていたセンティロメダ役は、彼女の手に」

 ふっとため息を漏らすと、シズクの目の前でその人は言った。悔しさ半分、諦め半分といった感じの声色。派手な金髪に、その髪に負けないくらいに派手な顔立ちの女性だ。美人は美人なのだが、レアラの美しさとは種類が違う。レアラが月の女神と例えられるならば、彼女は太陽の女神といったところだろうか。確かにセンティロメダのイメージでいうと、レアラに軍配が上がるとシズクは心中で呟いた。
 目の前に座る彼女、名前はエリザベス・カルーティアという。通称はベス。レアラと並ぶ、劇団のスター女優だ。
 「ま、あの子の実力は認めてるわよ。知らないところでいろいろ努力もしてるみたいだしね」
 言って、ベスは艶やかな視線をシズクの方へ一瞬だけ向け、その後たっぷりの時間をかけてリースの方に注いだ。
 彼女の視線の先で、対するリースはというと、ぞっとなったような顔をしている。……いや、実際にぞっとしているのだろう。
 この数日で得られたレアラに関する情報は、実はほとんどがベスから与えられたものだった。
 彼女、こちらが頼んだわけでもないのに、今のようにレアラ周辺の裏事情みたいなネタをぽんぽん話してくれるのだ。
 なぜそんなことをしてくれるかというと、答えは簡単だ。リースと少しでも長く会話をしたいからだ。
 ベスはリースが大層お気に召したようなのだ。彼のルックスが彼女の好みにすばりはまり込んでいたかららしい。劇場の廊下ですれ違ったのが最初のきっかけ。以来、いつの間にやら暇さえあればこうして話しにくるようになった。今日だって、いつものように談話室でシズクとリースがくつろいでいるのを目ざとく見つけて、こちらに近づいてきたのだ。
 シズクにしてみたら、劇団の内部の事がいろいろ知れて助かっているし、ベスのトークが結構面白いので、彼女の来訪には好意的だった。しかし、リースの方はと言うと、どうもシズクとは違うらしい。ああいうタイプは苦手だ。と漏らしたきり、会うたびに複雑な顔をするのだ。
 まぁ、シズクはそれを含めて、この状況を楽しんでいるのだが。
 「それに比べて、妹のリアラは――」
 そんな中、ベスがリアラの話題を口にした瞬間、シズクとリースは、ほぼ同時にそれまでぐうたらしていた身を起こした。
 リースが特に物凄い変わりようだった。気だるそうに薄められていた瞳は一気に真剣な色になり、何故か背筋もピンと伸びている。その変化に、ベスなどは驚いて大きく身をすくめたくらいだった。……まぁ、すぐにリースの真剣な表情に見惚れて、いつもの調子に戻ったのだが。
 「……あなた達、リアラって聞くといつも話に飛びついてくるわね。何かあったの? 彼女と」
 「いや、特には無いんだけど……」
 「その、なんとなくって言うか」
 ベスの訝しげな視線に当てられて、シズクとリースは互いの顔を気まずそうに見合った。乾いた笑いが漏れる。
 リアラと初めて出会ったあの日以来、彼女とは毎日顔を合わせる仲になっていた。リアラは会うたびにいつも姉の話をする。レアラがいかに歌が上手いとか、リアラが生活していく分も稼ぐために、彼女は昔から血のにじむような努力をしてきたとか、そんな話を。
 それは、リアラが姉を心から慕っている証拠のように映ったが、裏を返すとそれ以外の話題をリアラが持ち合わせていないようにも思えた。自分に関して話せることが何もないと言っているような印象を受けるのだ。そして、リースに言わせると、やはりどこか二人の関係は余所余所しいのだという。
 そんなごく些細な事で、シズクはリアラの事がどうしても気にかかるようになってきた。本当に『なんとなく』のレベル。そしてそれは、おそらくリースにしても同じだろう。
 「ふぅん。ま、いいけど」
 2人の様子を見て、ベスはまだ少し納得がいかないような感じだったが、気にしないことに決めたようだ。
 「で、リアラの事なんだけどね。彼女、病弱なのは仕方がないと思うわ。よく熱を出すし。それでも最近は少しずつ外へ働きに出だしているみたいだし、頑張ってるんじゃないの。ただね……」
 そこでベスは、一旦言葉を留める。はぁっと小さくため息をつくと、肩をすくめた仕草をした。
 「ただ?」
 ベスの言葉の続きが待ちきれずに、とうとうシズクはそう聞いてしまう。それにベスは、待っていましたとばかりに視線をこちらへ向けてくると、突然真剣な顔になった。そして、少し小声になるとこう言ったのだ。
 「近頃、あまり良くない連中と付き合っているらしいわよ」
 全く何を考えているんだか。と続けてから、ベスは今度は大きなため息を零す。
 「劇団の何人かが目撃したらしいの。柄の悪い男達数人と話しこんでいたって。あれはひょっとしたら、裏通りのごろつきじゃないかって言っていたわ」
 「柄の悪い男達……」
 呟いて、思い出したのは先日レアラを襲ったチンピラ共の顔だった。柄の悪い、三人組。役人に突き出して以来、現在も取調べ中だと聞く。
 あいつらとリアラが? ……いいや、そんなまさか。
 ふるふると首を振ると、シズクは自分のとんでもない考えを頭の中からもみ消した。
 そんなはずは無い。彼女がそんな事をするはずがないのだ。単に柄の悪い連中と聞いて、連想してしまっただけだ。そう自分に言い聞かせる。しかし、隣にいるリースと何気なく目が合うと、彼もシズクと同じような事を考えていたらしい事が分かってしまう。
 「それは本当にリアラさんだったの?」
 「当たり前でしょう。あんな目立つ銀髪、他に居ないわよ。フードは目深に被っていたみたいだけど、背丈からして間違いなくリアラだったらしいわ」
 時間帯からして、リアラが外に働きに出ている時間の事らしい。
 「昔っから、何を考えているのか分からない部分があるからね。リアラには注意した方が良いわよ」
 声を一際潜めて言ったベスの言葉が、シズクの胸をざわつかせた。



◇◆◇



 その日の夜だ、夕方の部の舞台が終了して、後片付けの慌しい雰囲気の中で、事は起こった。
 リアラが、また熱を出したのだ。
 本番直後で疲労はピークに達しているはずなのに、レアラは舞台用の化粧を落とすのもままならない状態でリアラの元へ走った。もちろんシズクとリースもそれに同行する事になる。
 リアラの部屋は、楽屋が何室も並ぶ廊下の、一番奥にあった。
 中に入ってみると、部屋の内装は質素極まりない。殺風景といってもいいくらい見事なものだった。
 劇団員とは各地を転々とする職業なので、あまり持ちまわる荷物が無いとは聞いていたが、リアラの部屋はそういう次元ではないのだ。入った瞬間シズク達は唖然とした。本当に何もないからだ。元々この部屋に備え付けられていた家具や、壁にかかるお情け程度の絵画以外は本当に何も。生活感が全く感じられない。
 「――――?」
 だがシズクは、この部屋に宿る、更にもう一つの違和感をなんとなく感じ取っていた。

 「……リアラ?」

 声を出来るだけ潜めて、気遣わしげな様子でレアラはベッドに横たわるリアラに問いかける。彼女の声を受けて、それまでうなされていたのだろうリアラは、頼りなさげな瞳を姉の方へと向けた。荒い息。上気した頬。額には、じんわりと汗が滲んでいる。
 「ごめんなさい」
 「いいのよリアラ。熱は? 大丈夫なの?」
 「本当にごめんなさい。ごめんなさい、姉さん」
 レアラが優しく呼びかけても、リアラはうわ言のように『ごめんなさい』を繰り返す。一体何に対しての謝罪なのだろう。姉をまた、薬を買うために夜の街へと出て行かせる事に対してか、己が病弱な体を持っている事に対してか、それとも――
 「……待ってて。薬、すぐに買って来るから」
 そっとそれだけ言うと、レアラはリアラの頬を撫でた。そして、表情を引き締めると踵を返して部屋の扉の方へ向かいだす。薬を買いに行くつもりなのだ。普段より足早なレアラを追って、リースも慌てて部屋を出て行く。彼女の事だ、護衛のリースやシズクに対してですら夜道への同行を遠慮してしまうに違いない。置いていかれないように、こちらが追いかける必要がある。
 考え事をしていたせいで一人出遅れたシズクも、急いで彼らの後を追おうとするが、

 「――シズクさん」

 リアラに呼びかけられて足を止める。
 「?」
 振り返ると、息をするのもやっとな状態なはずなのに、リアラの瞳だけは真っ直ぐにこちらを見つめていた。驚くほどに澄んだ瞳から、彼女の必死な気持ちが伝わってくる。
 「お願いします。姉を、守ってやって下さい」
 「リアラさ――」
 「お願いします。今回で……今回で、終わりにしますから」
 「?」
 何を終わらせるのかとても気になったのだが、そう言ったきり、リアラは先ほどと同じくひたすらにごめんなさいを繰り返し始めた。熱で頭がぼうっとなって、思考力が落ちているせいもあるのだろう。
 「…………」
 苦しそうに肩で息をするリアラを、シズクは静かに見つめていた。
 (何なのだろう、この違和感)
 部屋に足を踏み入れたときから、シズクはどこか落ち着かなかったのだ。心がざわざわする。胸騒ぎにも似たこの気持ち。
 何もなさ過ぎる部屋というのはこうも落ち着かないものなのだろうか。それとも、他に何か――
 「何やってるんだよシズク!! レアラさん行っちまうぞ!!」
 部屋の扉から、焦った様子のリースが顔を出した。急な事でシズクはびっくりしてしまったが、リースの表情を見た瞬間に全面的に自分が悪かったと自覚する。ぼーっとしすぎだ。自分は今、レアラさんの護衛をしなければ。
 「リアラさん」
 扉の方へ駆け出す前に、シズクはもう一度ベッドに横たわるリアラを見た。うわ言はまだ続いていたが、シズクが呼びかけると、リアラの瞳だけはこちらを向く。
 「約束、守りますから」
 それだけ告げると、シズクはリアラの返事を確認する事なく駆け出した。早く行かなければ、レアラとリースに置いて行かれてしまうだろう。扉を少しだけ乱暴に閉めてしまった事が少し気になったが、一瞬扉を振り返っただけで、すぐにまた走り出した。
 だからシズクは、一人残されたリアラがこんな事を呟いたのは、知らないだろう。

 「これが、最後――」

 喘ぎに埋もれながらも、はっきりした声は部屋に重く響いた。



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