追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

8.

 ――事件が起こるときはいつでも突然だ。

 その日は見事なまでの闇夜だった。暗いのではっきりは分からないが、分厚い雲が白銀の月を覆い隠してしまっている事だけは確かだった。月の加護を失った街道は、ひっそりとしていて少し湿っぽい。まだ夜浅い時間だというのに、この道には、野良猫の一匹も通らなかった。
 この道。そう、先日リースとシズクが劇場の帰りに使用し、レアラと出会った寂れた通りだ。
 先日の寂しさなど比べ物にならないほど、今宵のここは薄暗い。まるで闇が触手を蠢かして、この場をゆっくりと侵食していくようだった。
 リースは心のどこかでざわざわする物を感じる。何かが起こる前触れのような、本能からの警告。レアラの外出に付き添って正解だと思った。
 「寂しい夜ですね」
 レアラが、付近を注意深く見回しながら言う。その両腕には、先日の夜と同じく、大切そうに包みが抱かれていた。リアラの薬だ。
 「こんな夜は昔の事を思い出します。リアラと二人で生きていくと決めた日の事を」
 まるで独り言のようにレアラは語り始める。悲しそうでも苦しそうでもなく――ただ、懐かしそうな表情を浮かべて。
 ゆっくりと歩を進めながら、リースは自然とレアラと視線がぶつかった。淡い光を放つ彼女の銀髪は、今は厚い雲に隠されてしまっている月の代理のように見える。レアラは柔らかい笑顔をこちらへ返してくると、
 「ちょうど今日みたいな夜に、私達は闇の中へ放り出されたんです。恐ろしいと思った。ほら、昔話でききませんでした? 闇の中に居すぎると、闇の精霊がやってきて、暗くて寒いところへ連れて行かれてしまうって」
 笑顔を浮かべつつの会話だったが、薄暗い夜道でそんな話をされるのは、あまり気味の良いものではなかった。すぐ隣でシズクが、なんともいえない表情を浮かべているのが見える。怖がっているらしい。精霊を魔法の力として使役する魔道士が、闇の精霊ごときにおじけづくのは少々マヌケじゃないのかとも思うが。
 ――まぁ、確かに闇は怖い。ずっと見つめていると吸い込まれて行きそうな錯覚に襲われる。そういう所が、民間の伝承の元になったのだろうと思う。
 リースも幼い頃に言われた気がする。暗くなってからも遊んでいたら、闇の精霊に連れて行かれてしまう、と。子供の夜遊びを制止するための脅し文句だろうが、無垢な子供を恐怖に陥れるには十分な言葉だ。闇はそれだけ恐ろしいのだ。
 だから人は――
 「だから私は、『光』を求めた。あちこち彷徨ったけど、やっと今のここまで辿り着けた気がします。『劇団 青い星』は、暖かい場所です。たくさんの素晴らしい人に恵まれた場所」
 劇団の事を語るレアラは、幸せそうな顔をしていた。
 おそらく、ここへ辿り着くまでに、彼女は彼女なりに多くの苦汁をなめてきたのだろう。
 苦労の重さは人それぞれで、どんな人生が一番苦しいとか楽しいとか、そういうことはリースには分からない。だが、苦難の道の果てに、安穏の場所を見つけた瞬間の喜びは誰でも共通だろうと思う。
 レアラにとって劇団は、そして白銀のセンティロメダは、光そのものなのだ。
 「でも」
 しかし、そう呟くと、急にレアラの表情はしぼんでしまう。
 「リアラは……あの子は未だに、闇の中にいるような気がするんです。私はあの子に、熱をさげる薬を買って来る事は出来ても、あの子を闇から救い出す術は知らない……いえ、むしろ私がリアラを闇の中に閉じ込めてしまっているのかも知れないですね……」
 きゅっと薬を持つ腕を更に締めると、レアラは自嘲的に笑った。その笑みが、リアラの儚さと怖いくらいに一致する。憂いの中にも華やかさを宿すセンティロメダは、今はそこには居なかった。
 だがやがて彼女は、はっとしたように口を手で押さえる。
 「……あ。ごめんなさいこんな話。本当は違う話をするつもりだったのに、何でかしら。愚痴みたいな事を聞かせて申し訳ないです」
 一瞬だけ遠くをみるようにぼうっとしてから、レアラは今度は優しいいつもの笑顔を浮かべ、こちらに謝罪の言葉を述べてきた。
 「でも、本当の事なんですよ。私は、リアラを『私』という檻に閉じ込めてしまっているんです」
 「……そんなこと――」

 (――――っ!?)

 「――ストップ」

 レアラに言葉をかけようとしたシズクの肩をつかんで、リースは小声だが鋭い声で制止させた。突然の行動に、シズクは大きく怯んだ様子だったが、リースの表情の真剣さに気付いたのだろう。反論してくることはなかった。それどころか彼の意図に思い至ったのだろう。彼女自身も瞳に真剣なものを宿し始める。
 そう、リースは感じたのだ。今確かに。何かの気配を。
 経験上、相手が自分たちに好意的かどうかは気配でなんとなく察しが着く。今感じた気配が、明らかに悪意に染まっている事を確認すると、リースは正常時から戦闘時の精神へと切り替えを行った。周囲に気を張り詰めながら、自然と手は剣の柄へと伸びる。ぴりぴりと、空気が鳴った。
 隣のシズクも状況を察したらしい。真剣な表情でリースと同じくあたりを慎重に探り始めたようだった。その後ろで、レアラは不安そうな表情で立ち尽くしている。彼女もただならぬ雰囲気は読み取ったらしい。
 「今回で終わりにって……まさか……」
 小声でシズクがそんな事を呟いているのが聞こえたが、リースには何のことか意味が分からなかった。
 やがて、周囲を見回っていたリースの視線は、ある一点で留まる。闇の中から何かが近づいてくる気配がしたのだ。一歩、また一歩と。
 「――――!?」
 しかし、闇から現れたものに、リースはもちろん、シズクやレアラまでもが息を呑んだ。
 闇から現れたもの。それは――『闇』だったからだ。



◇◆◇



 ――闇。確かにそれは、そうとしか言いようがないものだった。
 薄暗い通りに現れたそれ。始めは人間だと思っていたのだが、人間じみていたのはその形だけだった。シルエットは確実に人間の体を模していたのだが、いかんせん目も無ければ鼻も口も無い。いや、それどころか呼吸もしていない。
 全身が黒いのだ。泥人形の暗闇版といったら一番的確な表現かもしれない。泥人形というには大きさは人間並だし、おまけにしっかり二本の足で立って歩くのだが。
 一番の特徴は、それが放つ悪意がその辺の下手なごろつきを軽く凌駕していた事だ。
 明らかに人外のものである。生き物かどうかすら判断がつかない。だが、これだけは考えなくても分かった。
 それが、『魔力』がこもった何かしらの代物だという事だ。
 「……んだよ、コレ」
 剣を抜き放ち、構える体勢を取りながら、リースはそう呟いた。目を持たないのにそれが分かったのだろうか。闇人形は興奮したようにいびつな動きをとり始める。音を全く立てずに近づいてくる様は、不気味以外の何物でもなかった。
 ごろつきやチンピラ。ひょっとしたらプロの暗殺者めいた奴らもレアラを襲ってくるかもしれない。そういう所まではリースの中で予想されうる事態の範疇だったのだが、今目の前にいるこんなものは完全に圏外である。
 レアラは確かに人気絶頂の舞台女優だが、魔道士でも戦士でもない。ただの一般人なのだ。明らかに魔道士が絡んでいそうなきな臭い敵に襲われる事など、普通ならばあり得ない。
 「おいシズク。こいつら一体何なんだよ」
 「わたしが聞きたいくらいよ。こんなもの、魔道士の使う召喚魔法には無いし、ネクロマンサーの使う部類のものでもないわよ。これ全部教科書知識だけど」
 シズクの返答に、意外と魔道関連に詳しいんだなと不覚にも関心してしまった。まぁ、魔道に詳しくない魔道士など、居たらそれは偽者だろうが。やはり未だにシズクが魔道士だという事に少々の違和感を覚えるのだ。
 とにかく、シズクが知らないのなら、こいつはただの魔法人形ではないのだろう。見た目は大したことがなさそうだが、魔力がこもったものに見た目はほぼ関係ないことをリースは常識として知っている。注意してかかる必要がある。そう思ったときだった。
 音も無く、空気が動いた。
 「――――っ!」
 予想より遙かに早い動きで、闇人形がリースに迫ってきたのだ。思わぬ不意打ちに一瞬だけ対応が遅れてしまったが、リースとて剣の腕は伊達ではない。ほとんど本能的な判断だけで剣を構えると、飛び掛ってきた闇人形に向かって素早く切りつけた。
 しかし、
 「……は?」
 思わず、マヌケな声が出てしまう。
 確かに手ごたえはあった。目の前で闇人形が真っ二つに両断されるのもこの目で確認した。それなのに、これは一体どういうことだろう。
 真っ二つになった闇人形は、昔聞いた怖い話に登場する幽霊のように、頭の部分からは足が生え、足の部分からは頭が生え、つまりは綺麗に二体に増えたのだ。
 後方で、レアラが声にならない声を上げているのが聞こえた。
 あまりの事態に、リースもあんぐりと口を開けて放心してしまう。しかし、闇人形はそんなリースが立ち直るのを悠長に待っていてくれるはずはなかった。また気色の悪いいびつな動きをすると、今度は分裂した二体が同時に飛び掛ってくる。
 二体同時だろうと、闇人形に太刀を浴びせる事はリースにとって容易い事だった。しかしさすがに、もう一度両断するなどという手段は選べない。これ以上増えられたらそれこそやっかいだからだ。
 切り裂く事が出来ないと、取れる攻撃方法は一つしかなかった。そう、切り裂くことなく『跳ね飛ばす』事だ。
 リースは向かってくる一体を剣の腹で、もう一体を足でそれぞれ跳ね飛ばす。大した手ごたえはなかったが、予想以上に闇人形達は跳ね飛ばされていく。二体は自分達の居る方と反対側の街道の壁に激突すると、軽くバウンドするように地面に落ちた。見た目に反して奴らは軽いようだ。しかし、そこでまたしても驚愕の事態がリース達を襲う。
 「げ!」
 隣のシズクがそう漏らしたのも無理は無い。
 なんと二体の闇人形は、地面にバウンドした衝撃で……再び分裂したのだから。
 ――これで合計四体。
 「あぁぁもうっ! うざってー!」
 思わずそう悪態を付くが、耳という器官を持たない闇人形に、その訴えが届いたかどうかははなはだ怪しい。しかも次の瞬間には四体同時にこちらに飛び掛ってきたものだから、悪態をつく余裕すら与えられなくなる。
 闇人形達に衝撃を加える事自体が分裂の引き金になるならば、もう本当に残された手段はたった一つのみだ。
 リースに向かってきていた二体を彼は素早い動きで避けた。どう考えても素手と同等の威力しか持たないはずの人形の腕は、驚く速さで空を裂いていた。ひゅるんとうなる腕が、もし虚空でなく、リースの体のどこかを切っていたとしたら、ただ事ではすまないだろう。甘く見ていたらヤバイ。人形との距離を離しながら、リースの背筋に寒い物が走りぬけた。
 すぐ後ろの方で、レアラをかばいつつシズクも残り二体の攻撃を避けているのが見える。魔道士よりも盗賊になった方が良いんじゃないかと思うくらい、シズクは身軽なのだ。大分戦闘慣れもしてきているみたいだし、シズクにレアラをまかせて正解だったとリースは頭の片隅で思った。
 「……どうしたらいい?」
 言葉も無く立ちすくんでいるレアラをなだめつつ、焦った口調でシズクが問うて来る。
 「分からん。分かる事ってったら、あいつらに何かしらショックを与えたら、等比数列式に増えていくって事くらいだ」
 「魔法を当てても多分そうなるだろうね」
 「だろうな。だから――」
 そこで一旦、リースは言葉を切る。切らざるを得なかったからだ。四体の闇人形が再びこちらへ向かってくる。
 間合いからいって、今度は避けることは無理だ。リースはやむを得ず飛び掛ってきた二体を跳ね飛ばすと、後方を確認することなくシズクの背中を押した。押されたシズクは、一瞬よろめいたが、すぐ隣のリースの行動を確認して合点がいったようだ。
 「とりあえず逃げろ! 今はそれしか手段が思いつかねえ!」
 そう叫びながら、リースは既に走り出していた。レアラをかばいながら、シズクもそれに続く。
 後方をちらりと見ると、案の定跳ね飛ばした二体はそれぞれ二つに割れていた。これで六体。
 ――まったく厄介な敵に狙われたものだ。



◇◆◇



 ――霧が出始めた。
 闇にくるまれた街道は、やけに湿っぽく、そしてなんともいえない雰囲気をまとっていた。真夜中というには早い時間であるのに、人っ子一人外に出ている者はいない。今宵のこの禍々しい雰囲気を、町人達はどこかで感じ取っているのかも知れない。
 そんな街道を、シズクは全力で疾走していた。左手には、レアラの華奢な手首が掴まれている。すぐ耳元で、レアラの苦しそうな息遣いが聞こえてきた。
 先ほどから、シズクはレアラの手を半ば引きずるようにしてひいているのだ。元々走りには自信があるシズクだ、レアラでは走る速度が全然合わない。だが、少々乱暴かもしれないが、逃げるためには今は引きずってでも走るしかないのだ。
 後方をちらりと確認すると、例の闇人形は地面を滑るようにしてこちらを追ってきていた。足音が全く聞こえないので、時々こうして目で確認しなければ、奴らとどれくらいの距離が開いているのか分からなくなる。
 幸いな事に、今のところ街道に人の姿は見当たらない。今夜のこの雰囲気のおかげだろう。どうやら、自分達と全く関係の無い一般人を巻き込まずに済みそうである。まぁそれも、シズク達がやつらを何とかしたら、の話だが。
 (……さすがに、キツイ)
 走りながら、徐々に自分の体力が削られていくのを感じる。いかに体力に自信があろうとも、シズクは生身の人間なのだ。長時間全力疾走していたら、息が切れてくるし体中が軋みだす。
 それに、何よりレアラの身が心配だ。歌劇の舞台女優であるので少々の体力はあるのだろうが、さすがにこれだけの全力疾走は厳しいだろう。事実、さきほどから何度か足がもつれてしまっている。
 対する闇人形はというと、案の定というか何というか、全く疲れを知らないようだった。音も無く地面を滑りながら、先ほどから全くその速度は落ちていないのだ。
 走りながら、シズクはシズクなりにいろいろ考えていた。どの種類の魔法を放ったら、奴らを分裂させる事なく消す事が出来るだろうか、と。実際に数発程、これと思った魔法を放ってみたのだが、どれもこれも奴らを分裂させてしまう。唯一、奴らを一瞬で消し飛ばせそうな魔法は、とてもじゃないが今のシズクに使えるとは思えなかった。
 ――エレンダルの城で、合成生物(キメラ)三体を一瞬で消し炭にしてしまったという、魔族(シェルザード)の魔法だ。
 シズクが放ったらしいのだが、いかんせんシズク自身はちっともその事を覚えていない。それに、実際シズクがその魔法を使えたとしても、こんな街中でそんな魔法を放つわけにはいかないだろう。あのエレンダルの城をただの瓦礫の山に変えてしまったほどの威力なのだから。
 「ったく、性質わりー」
 後方でリースが悪態をつく。走りながら、彼はこちらに飛び掛ってくる闇人形を跳ね飛ばしてくれていた。その衝撃でまた人形は分裂してしまうのだが、飛び掛られて切り裂かれるわけにもいかない。
 だが、逃げるのも所詮はその場しのぎでしかない事を、この場に居る全員が分かっている。逃げたところで、あいつらが消えたり逃げたりするはずはないのだから。
 更に、疾走するスピードが消耗のために大分落ちてきてしまっている今となっては、徐々に闇人形との距離は縮まる一方だ。追いつかれてしまうのは時間の問題という訳だ。奴らに追いつかれてしまう前に、この場の打開策をひねり出さなければならない。
 (何か――)
 めまぐるしく思考をめぐらしながら、シズクは必死で答への道筋を考える。魔法学校に居た頃のシズクでは、考えられない集中力だった。ナーリアが見たら、さぞかし驚く事だろう。
 生物だろうと非生物だろうと、この世の理に則って存在しているものには、完全は存在しない。つまり、どこかに弱点があるはずなのだ。後方にせまる闇人形にしたってそれは同じだろう。――必ずどこかに打開策はある。
 (火も雷も駄目だった。という事は4大属性には属さない部類なんだ)
 魔法学校で学んだ知識をフル回転で思い出そうとする。
 (という事は無属性か、それとも――――……ぇ?)
 瞬間、心臓が嫌な音を立てて鳴いたのを、シズクは確かに感じてしまった。
 (そんなまさか)
 まさかと思いつつ、確実に自分は今、それが答だと断定している。動揺のために、走る速度が若干緩む。
 ふわりと香るこの気配、雰囲気。
 それは、あの時感じた――

 「リース!」

 ぜえぜえあえぎつつも、必死にリースに呼びかける。呼びかけられたリースは少し走る速度を上げて、シズクに横付けしてくる形になった。
 「どした?」
 息が切れているのは同じだが、リースは、シズクよりかは幾分余裕があるように見える。
 「……ちょっと思う事があって」
 「?」
 「ねぇ、しばらくレアラさんをお願い!」
 「え――」
 返事を聞く間もなく、シズクは左手で引いていたレアラの手をリースに預けた。突然の事でレアラもリースも戸惑いを隠せない。
 しかし、次にシズクがとった行動に、更に困惑を深める事になる。
 「ちょ……おい!」
 背後から、リースのそんな言葉にならない叫びが聞こえる。
 まぁそれも無理の無い話だ。
 シズクが、逃げているはずなのにその疾走の速度を緩め、くるりと後方を振り返ると――あろうことか、その場で『停止』してしまったのだから。
 「シズク!」
 「シズクさんっ!」
 リースの怒号と、悲鳴のようなレアラの声が、寂れた街道に木霊する。シズクはそんな彼らの方を一瞬だけ振り返ると、
 「失敗したらごめん!」
 大声でそれだけ言って、自身は闇人形の群れの方に向かって走り出していた。



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