追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

9.

 何度か分裂を繰り返し、闇人形は既に二十を超える数に膨れ上がっていた。
 その群れの中に、シズクは単身突っ込んでいく。まさに飛んで火に入る夏の虫。そんな彼女を闇人形達が見逃すはずがない。獲物を見つけた獣のように、一度だけいびつな例の動きをすると、迷わずシズクの方へ突っ込んでいく。
 「シズク!」
 とうとうリースは、逃げる事を放棄して足を止めてしまう。というか、止まらざるを得なかったのだ。自分が手を引いているレアラが、頑固にその場に立ち止まって動かなくなってしまったからだ。彼女の瞳には、確固たる意思が燃えていた。
 「あいつ、何考えてるんだよ」
 思う事がある、とシズクは言っていた。何かを閃いたのは確かだろう。だが、それが何なのか全く説明されなかったし、今回ばかりはリースが自力で答えにたどり着くのは無理そうだった。
 「シズクさん!」
 悲鳴のようにそれだけ叫ぶと、レアラはシズクの元へ駆け出しそうになる。それをリースは寸でのところで止めた。護衛する人間のために、護衛される人間が危険を冒すなど、本末転倒もいいところだからだ。
 「失敗したらごめん。って――」
 失敗したらただ事じゃすまないだろう。と、背中を冷や汗が伝うのが分かった。



◇◆◇



 『――暗闇(ラドック)

 闇人形の群れに向かって疾走するシズクは、群れに完全に突っ込む直前に既に完成させていた呪を放った。闇魔法の中でも、初歩中の初歩の魔法だ。といっても、闇魔法を使う事自体、少々難しいのだが。
 シズクの魔法は、何に向かって跳ぶでもなく、シズクのすぐ頭上で放出される。小さくて薄い闇が少しの間だけ空間に出現した。
 一見なんの意味も成さないような使い方だったが、意外にも効果はてき面に現れた。二十数体の闇人形達は、一瞬だけ動きを止めると、次の瞬間には一斉にシズクに向かって飛び掛ってきたのだから。リース達を追っていた数体も、シズクのこの魔法が放たれた途端に、撒き餌に群がる魚のように舞い戻ってきた。
 (ここまでは、予想通り)
 シズクは覚悟を決めるように、一瞬だけ大きく息を吸い込むと、意を決して腰に下げられた折りたたみ式の棒を手に取った。持ち運びに便利なように、普段は折りたたまれて腰に下げられている棒は、たった一振りで銀色に輝く美しい棒へと姿を変える。
 『光の雫』。それがこの棒に贈られた銘である。
 シズクはまず、棒を振りかぶったその流れのまま、前方から飛び掛ってくる二体を受け流した。棒を受けた闇人形達は、叫び声こそ上げないが、もがくような動きをとる。光の加護を纏った棒は、闇人形の動きを止める事が出来るようだ。しかし、それも一瞬の事。すぐに人形達は復活すると、例によって分裂してしまう。
 それにもかまわずシズクは群れの中へと前進していった。身軽さを生かして、人形達の攻撃をぎりぎりのラインで避けたり、棒で弾き飛ばしたりする。棒の力は、闇人形の動きを封じ、シズクを群れのより中心へ導いてくれる良き道具となった。
 といってもこの数だ。それはさながら、人ごみの中へと全速力で突っ込む事に等しい。実戦慣れしている戦士でも相手をするのに難しい数なのだ。シズクが防ぎきれるはずはない。
 致命傷というほどの傷は今のところ負っていなかったが、中くらいの切り傷が体中にいくつも出来た。その度に、後方からレアラの叫びが聞こえるが、振り返っている余裕すら今はない。痛みが無いわけではないが、怯んでいたらすぐさま奴らの餌食だ。
 棒の一振りで、二体の人形を跳ね飛ばし、シズクは前進した。斜め後方からの攻撃に背中を薄く切り裂かれるが、致命傷だけは避ける。半ば体当たりのように斜め前方の1体を跳ね飛ばすと更に前進。
 体力には多少の自信があるシズクだったが、そろそろ限界が近づいてきている。肩で息をしているのが分かる。
 (そろそろ、かな)
 周囲を一瞬で確認して、ここがおおよその群れの中心だと確認する。今や闇人形達は、一体残らずシズクの方角、つまりは群れの中心を向いている。シズクの攻撃で、闇人形は益々その数を増していた。ぱっと見ただけではもう数を数える事はかなわないくらいに。
 傍目から見ただけでは、天敵に取り込まれてしまった哀れな獲物の図だ。少し違うのは、シズクの場合は進んでこの場に突っ込んできたという事のみで。
 中心に追い込んだと思ったのだろう、闇人形は、それまで絶え間なく続けていた攻撃を一旦休止させた。代わりに、例の気持ち悪い動作を繰り返し始めると、中心にいるシズクの方へじりじりと前進してくる。全てにおいて、彼らの動きには音が無い。数十体が音も無く近づいてくるその様は、軽いホラーよりもずっと恐ろしかった。
 「…………」
 群れの中心で、シズクは肩で息をしてはいたが、比較的冷静な表情を浮かべていた。周囲の闇人形の様子を注意深く観察し、機をうかがうように視線を研ぎ澄ます。

 そして、時が動いた――

 数十体の闇人形が、一斉にシズクに向かって飛び掛ってきたのだ。飛び掛られる方から見ると、それはさながら闇のシャワーのようだった。
 だが、シズクとてむざむざやられるためにこんな場所まで来た訳では無い。むしろ、この時を待っていたのだ。
 すぅっと双眸を閉じると、怖いくらい真剣な表情を作る。
 『心の闇を照らす 光をこの手に――――』
 歌うように呪を紡ぐ。よく通る彼女の声は、夜の空気を切り裂きそうなくらいに研ぎ澄まされていた。

  『明かりよ(トート)!!』

 瞬間、昼かと錯覚するくらいに、周囲に光が飛散した。あまりの眩しさに、術を放ったシズク自身も目を瞑る。
 この明かりの中では、闇人形達がどうなったのかは分からなかった。もし今攻撃を受けたりすれば、視界が断たれたも同然のこの状況下では、避けられないだろう。

 「――――っ」

 次第に見えてきた景色の様子はしかし、そんなシズクの杞憂を軽く吹き飛ばしてくれた。
光がやんだ街道には、先程までわんさかひしめいていた闇人形が、一体たりとも存在しなかったからだ。
 「なっ……!?」
 遥か後方から、リースとレアラのものであろうどよめきが流れてくる。当たり前だ。先程まで何をやっても分裂していた人形達が、シズクの魔法で、跡形もなく消えてしまったのだから。
 闇人形達が去った街道は、心なしか禍々しさが抜け切ったような感じがする。すっぽり闇にくるまれた夜は終わり、いつもの夜がやってきた。
 (…………)
 何もなくなった街道を見つめながら、しかしシズクは安堵のため息をつくことも無く深刻な表情を浮かべて佇んでいた。息切れのために肩を大きく上下させてはいるが、彼女の青い瞳は冷静な色を浮かべている。
 「やっぱり――」
 そうなのだろうか。自分が思ったとおりの事なのだろうか。心の中で自問自答を繰り返す。
 疲労はピークをとうに迎えていた。全力で走ったうえに、数十対の闇人形の群れに向かって突っ込んだのだ。生ぬるい倦怠感が体にまとわりつく。
 だがそれでも、シズクは虚空を見つめていた。そこから答を求めるように。

 「シズク!」

 程なくして、叫びながらリースとレアラが走りよってきた。シズクはそれをぼんやりした視線で迎えると彼らの表情を目に留める。二人とも眉間に深く皺を刻み込み、怪訝な表情を浮かべていた。
 「一体……どうやったんだよ?」
 渋顔のまま、間髪容れずにリースが問うてくる。端正な顔には、納得出来ないと書いてあった。彼らとてシズクと同じく疲労困憊だろうが、それよりも疑問と混乱の方が強いらしい。しつこいくらい分裂を繰り返していた闇人形が、シズクの、攻撃でもなんでもない魔法で消えてしまった事が不思議で仕方ないのだろう。
 そんなリースとレアラを前にして、ぼんやりとした表情はそのままに、シズクはため息を付いた。主に疲労のためだ。そして虚空へ視線をずらしてこう呟いた。
 「考えたら簡単なことだったの」
 「簡単なこと?」
 「あいつらは――」
 そう、あいつらは。
 「…………」
 首を傾げて返答を待つレアラを視界に沿えて、それきりシズクは口をつぐむと黙り込んでしまう。
 シズクを除く二人は彼女の様子に余計困惑を深めたようだった。奇妙な沈黙が三人のまわりを包む。
 だが、このまま長時間睨み合っている場合でもない。何も言葉を発しないシズクに痺れを切らしたのだろう。リースが沈黙を破る。
 「……とにかく、薬を届けるのが先だな」
 納得できないといった表情は消えていなかったが、彼は本来の目的を優先させたようだ。
 もっとも、後できちんと話せよ。と訴えるような目線をシズクへと向けてはいたのだが。
 リースの言葉に、レアラははっとなって手元の包みを抱き締める。闇人形に襲われて走るうち、包みは所々破れてくしゃくしゃになってしまったが、中の薬は無事なようだった。病弱なリアラのための、特注の薬だ。
 「そうですね……まずはリアラに、薬を」
 そう言ってレアラは、シズクとリースに目配せをする。レアラの視線を受けて、二人は頷くと、
 「劇場に帰ろう」
 静かにリースが言った。



◇◆◇



劇場に戻った一行は、迷わずリアラの寝室へと直行した。
 例の闇人形達による襲撃で時間をとられてしまったため、すっかり夜は更けてしまっていたが、リアラはまだ起きていてくれたようだった。
 「……お帰りなさい」
 シズク達が部屋に入った瞬間に、待ちかねたように彼女の声がしたのだ。弱々しい声だったが、ベッドに横たわるリアラの顔色は、ここを出るときよりは幾分良さそうに見えた。
 レアラと同じ色の瞳で彼女は淡く微笑むと目頭がわずかに潤む。その表情は、今にも泣きだしてしまいそうにも、安堵しているようにも見えた。
 様々な感情が混在するような表情のリアラに、しかしレアラはただ真っすぐに愛情を注ぐ。傍らにしゃがみこむと、
 「遅くなってごめんね」
 言って汗粒が浮かぶ額を手のひらで拭ってやる。それだけで、リアラはほうっと安心したように息を吐いて瞳を閉じる。まるで、何かを祈っているように、その表情は切なくシズクの瞳に映った。
 「薬を……」
 「あぁ、そうだったわね」
 リアラの言葉に、彼女の頭を優しく撫でていたレアラは急に目を見開くと、すぐさま膝の上におかれた包みへと手を伸ばす。そして、細長い指で何かを掴んで取り出したのだ。
 「すぐに効く薬だから――」
 包みの中から出てきたのは、褐色の一本の瓶だった。
 スリムで美しい曲線を描く瓶本体の上には、クリスタルをかたどった蓋がのっている。薬瓶の形にしては見慣れないものだった。むしろそれは、香水やマジックグッズに用いられるような形のものだ。
 レアラが立ち寄った店は、確かに普通の医薬品が並ぶ薬屋だった。こんな医薬品があるようには思えなかったのだが……
 「?」
 しかしシズクは、その薬の使用方法を見て、更に驚かされてしまった。それは、隣にたたずむリースにしても同じだったようだ。
 レアラは褐色瓶の蓋を取ると、なんとその中身をリアラに――振り掛けたのだ。
 瓶の形からして中身は液体だと踏んでいたのだが、そうではなかった。ふんわりとした粉末のようなものだったのだ。粉はリアラの全身を包むとキラリと一瞬だけ輝いて空気に溶けていく。
 直後、シズクが先程からずっと感じていた妙な気配が徐々に消えていくのが感じられた。それと同時に、リアラの体調も瞬く間に回復していく。荒かった息遣いは正常に戻り、熱のために真っ赤だった頬は健康的な桃色に戻ったのだ。
 いくら薬を飲んだ(というか振り掛けた)からと言っても、普通ならばこんなに直ぐに効果が現われたりはしないものだ。瞬時に人を癒せるのは、呪術師が用いる奇跡の業のみなのだから。それがどうだろう。今し方レアラが妹のためにと買ってきた薬は、瞬く間にリアラを癒したのである。
 (……これは)
 一つだけ、心当たりがあった。でもそれは、医薬品というよりはむしろ――

 「いつも、ごめんなさい……」

 シズクの思考は、他でもないリアラの言葉によって中断される。焦点が微妙にずれていた視界を修正させると、視界に二つの銀が眩しく飛び込んできた。銀色の正体は言わずもがな、リアラとレアラの同じ色をした銀髪だ。二人が並ぶと、まるでそこに双子星でも存在しているような錯覚を抱く。流れるような、月の色。
 「私は姉さんに、迷惑をかけてばかりね」
 「自分をせめないで。今は体調を整える事だけを考えなさい」
 赤子をあやすように甘く囁くと、レアラは妹の頭を優しく撫でた。それをリアラは心地良さそうに受け取るが、ふと、突然にシズクと目線が合ってしまう。
 「――――」
 まだ若干涙で潤むリアラの視線を受けて、シズクは大きく胸が鳴ったのを感じていた。
 姉に頭を撫でられた状態のまま、リアラの目だけはしっかりとシズクを見据えている。静かな夜を思わせる深いブルーは、その色合いとは全く逆に、シズクを動揺へと導く。
 目があっただけだ。それなのに、これほどまでに落ち着かない。おそらくそれは、シズクの頭の中で先ほどからずっと繰り返されていた問答が原因だろう。何度も打ち消そうと試みた。だけど消えてくれない、この疑惑は。
 シズクはリアラを――疑っているのだ。

 「……ありがとう」

 目線をシズクに合わせたまま、リアラがはっきりした口調でそう言った。先ほどまでの弱弱しい声など嘘だったかのように、今の彼女の口調にはしっかりとした芯がある。何も言わないシズクを見つめながら、リアラはふっと瞳を細める。
 実際のところ、一瞬シズクは、自分がリアラに何故お礼を言われたのかが分からなかったのだ。しかし、少し考えたら合点がいった。ここを出る前に、彼女と約束した事について思い出したからだ。すなわち、シズクがレアラを守る、と。
 一方のレアラとリースはというと、何のことか分からず、リアラとシズクの間で視線を行ったり来たりさせていた。あの場に立ちあっていなかったのだから仕方が無い。当事者のシズクですら、瞬時には思い出せなかった程些細な事なのだ。おそらく彼らには想像も出来ないだろう。
 だが、シズクにとっては些細な事でも、リアラにとってはとても大事な約束事だったのかも知れない。
 視線の攻防はしばらく続いた。その間、誰も言葉を発する者はいなかった。よくわからない沈黙が、簡素な部屋を支配し始める。
 先に均衡を破ったのは、シズクの方だった。
 「リアラさん……」
 呼んで、真剣な色を乗せた視線を彼女の方へと送る。
 「あの、わたし――」
 「たくさんお話することがあります。でも、今日は少し、休ませてくれませんか?」
 「……え?」
 「明日、必ずお話ししますから」
 「…………」
 思いもよらないリアラの言葉に、シズクは返す言葉が見つからなかった。シズクだけではない、リースとレアラに至っては、二人の会話に全くついていけずに、先ほどから怪訝な表情を露にしている。
 (話すって、何を?)
 リアラに尋ねてみたかったが、今や固い意志を宿した瞳は、シズクの質問には答えてくれそうに無かった。
 「ですから、今日のところはお引取り下さい――」



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