追憶の救世主

backtopnext

閑話「白銀のセンティロメダ」

10.

 「なぁ、一体何がどうなってるんだよ!?」
 レアラと別れ、宿屋へ帰ろうと劇場を出た瞬間に、リースはたまらなくなって立ち止まり、とうとう声を上げた。少し前方を行くシズクもリースの声に反応したのか、ぴたりと足を止めてこちらを振り返ってくる。彼女の表情は、若干冴えないように見えた。
 「何で人間じゃないものにレアラさんが狙われる? そもそもお前はどうやってあいつらを倒したんだよ? さっきのリアラさんの意味深な言葉にしたってそうだ。さっぱり状況が飲み込めねえ!」
 イラついた語調で、思っている事を手当たり次第に吐き出していく。シズクに罪は無いだろうが、無理も無いというものだろう。リースは、すっかり置いてけぼりをくらってしまっているのだから。

 状況を整理するとこうだ。

 事件は今夜、レアラの護衛をした時から始まった。劇場への帰り道に奇妙な闇人形に襲われたのだ。
 一般人のレアラが人外のものに狙われるなど、普通に考えるとありえない状況だ。
 切っても叩いても分裂する厄介な奴らに、リース達は逃げる事しか出来なかった。だが、どうしたことか。シズクが魔法を一つ放っただけで、闇人形は跡形もなく消えてしまったのだ。
 リースの記憶が確かなら、彼女があの時放ったあの魔法は、その気になれば魔道士でなくても習得できてしまうような、至極簡単で大した魔力も必要としない魔法だった。強力な魔法をぶつけても分裂しかしなかった闇人形を消してしまうには、魔法のレベルだけで言うとあまりに陳腐なもののはずなのだ。
 更に、帰ってきてからのリアラの意味深な発言も大いに気になる。しかも、言葉の矛先は姉のレアラではなく、シズクなのだ。
 「…………」
 にらみ合いはしばし続いた。不機嫌そうにリースはシズクを見つめ、シズクは静かにリースを見据える。だがやがて、折れたのはシズクの方だった。
 「……レアラさんが闇人形に襲われた原因はわたしにも分からない。リアラさんのさっきの台詞にしたって、正直理解しかねるわよ。でも、闇人形達をどうやって消したかは説明できるよ」
  最初から彼女はリースにこの事について尋ねられると予想していたのかもしれない。別段迷うことなく言葉を紡ぐと、リースの目の前でシズクは肩をすくめてみせる。そして、苦笑いを浮かべるのだった。
 「説明できるなら、なんでさっき隠そうとしたんだよ?」
 「別に隠そうとしてないって。ただ、レアラさんが居たから……ちょっと、ね」
 まだ不機嫌そうに言ったリースの言葉に、シズクは苦笑いを更に深める。だがやがて、ため息をつくと遠くを見つめるような目をした。どこか悩ましい。
 「レアラさんが居たから?」
 「……少し難しい話になるけど、いい?」
 リースの質問には答えず、シズクはこちらを真っ直ぐに見据えながら言った。



 「リースは、魔法の4大属性について知ってる?」
 街道をゆっくり歩きながら、シズクがまず切り出したのはそんな言葉だった。
 「4大属性って……火水雷風の4神が持つ属性の事か?」
 突然突拍子の無い質問を投げかけられて、リースは少しうろたえてしまった。だが、彼女の質問に答えるだけの知識はリースも持っていたので、端的にそう答える。
 ――4大属性。
 この世界を作った神のうち、火水雷風の4神の持つ力の事だ。世の中の魔法はほとんどこの属性のどれかに属する。魔法の大部分が、大気に満ちる精霊から力を得るものであるが、この4神の力を持った精霊達は、比較的魔道士に友好的だからだ。
 その次に多いのが、何にも属さない無属性魔法。そして、それより更に少ないものが――
 「――光と闇。じゃあこの二つの属性については?」
 「え……」
 妙に真剣なシズクの瞳とぶつかって、リースは思わずぎくりとしてしまう。自分が考えている事と全く同じ事が、彼女の口から飛び出したせいもあるかもしれない。
 「光神と闇神の精霊を司る力……この2属性は、他の属性に比べると圧倒的に影が薄いな」
 少しだじろいだものの、リースは難なくその質問にも答える。魔法の知識に詳しいとはいえないが、これくらいの事なら常識の範囲だ。
 光と闇。対を成すこの二つの力は、共に魔法としてはほとんど利用される事はない。
 「その通り。光の精霊と闇の精霊は他の生き物に友好的じゃないからね。魔道士にもなかなか力を貸してくれないのよ。使えたとしても単純なものばかりで――そう、『召喚魔法』なんかにはとてもじゃないけど使えない」
 「……何が言いたいんだ?」
 意味深に『召喚魔法』の部分を強調して言うシズクに、リースは首を傾げる。今まで魔法の理論の話ばかりだった会話から、突然具体的な魔法の種類が沸いてきた事にひっかかりを覚えた。
 リースの言葉にシズクは一瞬沈黙する。幾つもの色を持つその瞳を伏せるとしばらく考え込む様子を見せた。だが、やがてこう切り出す。
 「あの闇人形達が現れた時ね。わたしはまず、あいつらは魔法で召喚された魔物の類じゃないかって考えたの。あんな魔物を呼び出す召喚魔法は見た事がないけれど、広い世界、わたしが知らない魔法も数多くあるだろうから。……でも、実際は違った」
 「……どう違ったんだよ」
 怪訝な顔はそのままにリースが問う。シズクはふと彼と視線を合わせると、青い瞳を軽く薄めて、こう言った。
 「召喚魔法じゃなかった。闇人形から放たれるものには魔力をむんむん感じるのに、奴らは4大属性のどれにも当てはまらない。でも無属性でもない。じゃぁ後は? と考えたけれど、闇や光の力を使った召喚魔法なんて聞いた事がない。この2属性に当てはまる魔物なんて皆無に等しいからね」
 そこでシズクは一息つく。そして、話に着いて来ているかを確認するかのようにリースを伺い見る。リースは、黙って彼女の話の続きを待っていた。
 「……そこまで考えて気付いたの。こいつらは召喚されていない。それに魔物ですらない。その姿かたちから見ての通り、闇そのものだ。ってね」
 「……闇?」
 「端的に言うと、闇の精霊そのものっていう事」
 はぁ!? っと眉をひそめてリースは思わず声を荒げた。
 「精霊!? あの闇人形達が?」
 馬鹿な、と思う。人間はおろか、他の生き物にすら魔法として力を貸すのも渋るような連中だ。そんな存在が目の前で具現化までして、人間に干渉してくるものだろうか。
 だが同時に、どこかで納得してしまっている自分も居た。闇の精霊。そう考えたら全ての辻褄があうからだ。
 どれだけ切っても叩かれても魔法をぶつけられてもダメージを受けない。それどころか厄介な事に分裂を繰り返す。そんな都合の良い生き物、存在する訳が無い。何者からも影響を受けず、全ての物に影響を与えるとされる、大気に満ちる精霊を除いては。
 「仮説でしかなかった考えだけど、闇人形に闇魔法を放ってやってそれが確信に変わったの。やつら、逆上して一気にわたしを狙ってきたでしょう?」
 言われてリースは思い出す。あの時、まず初めにシズクは闇属性の魔法を放っていた。そしてその魔法が放たれた途端、闇人形達は突然動きを変えたのだ。リース達を追っていた闇人形達まで、シズクに襲い掛かっていったのだった。
 あの突然の変化は、彼らが『怒った』証だったのだ。
 「確かに、闇の精霊自身に闇魔法をぶつけるなんて、精霊への挑発以外の何物でもないな」
 「ご名答。群れに突っ込んだのは奴らの中心で魔法を放ちたかったから。分裂して数は増えているけど元々は一つだったものだからね。一気に叩かないと意味がないと踏んだのよ」
 分裂する魔物によくあるパターンだ。ましてや奴らは精霊だった。精霊とは大気に溢れる意思あるエネルギーみたいな存在である。一つが全体であり、全体が一つでもある。そういう考えだ。
 そして、シズクのこの予想は大的中だったという訳だ。通常、夜道に光を灯す程度の力しか持たない魔法を放っただけで、闇人形達は跡形も無く消えてしまったのだから。
 闇は光と対極を成すもの。すなわち、
 「光に当てられて、全て消えてしまったって事か……」
 リースの呟きが、静かな夜の街道に染み入るように溶けて行った。シズクは沈黙を守る事で肯定の意を彼に伝える。
 「本当は、光の精霊の力を借りるのが一番良い方法だったのだろうけど、生憎わたし、光魔法は使えないから。だから、自分のエネルギーを光に変換する魔法を代替手段で使ったの。上手くいってホッとしたわ」
 言って、シズクは苦笑いを浮かべる。
 確かに、あの時シズクが放った光は光魔法の一種ではなく、精霊の力を全く使わない種類の魔法だった。自身のエネルギーを光に変えて放出するだけなので、その気になれば魔力が低い者でも行使する事が出来る単純なもの。
 彼女にとって、この方法は一種の賭けだったのだろう。上手く行ったからあの場を切り抜けられたものの、もし仮にあいつらに 『光よ(トート)』の魔法が効かなかったとしたら――
 「しっかし、無茶しすぎだ! もしあいつらが精霊じゃなかったら? ただの魔物で、あの魔法が効かなかったら? お前どうするつもりだったんだよ!」
 「あはは……。怪我ではすまされなかったかもね……まぁ、結果良ければ全て良し、って事で」
 「あははじゃねぇって……」
 リースは呆れ顔で言って、目の前で苦笑いを続けるシズクを見る。そして、お前セイラに似てきたんじゃないか。と付け加えた。
 確かにあの状況で、シズクの閃きがなかったなら、3人ともどうなっていたか分からない。だが、確たる保障もないのに、閃き一つで闇人形の群れに突っ込んだあの行動は、はっきり言って無茶以外の何ものでもない。
 「何も一人で突っ込む必要なかっただろ? 俺が援護してもよかったのに」
 顔だけはかばったらしく、ぱっと見ただけではなんともなさそうに見えるが、闇人形の群れに突っ込んだせいで、シズクの体は擦り傷切り傷だらけなのだ。劇場で軽い応急処置をしてもらったが、後でアリスあたりに診てもらわないといけないと思う。決して浅く無い傷もいくつかあるのだ。
 リースが、シズクが魔法を放つまでの時間を稼いでも、何の問題も無かったはずなのだ。むしろ、そちらの方が要領が良い。一人で全てをする必要は無かったのだ。戦えるのはシズクだけではないのだから。
 だが、不服そうなリースの前で、シズクは苦笑いを更に深める。申し訳ない気持ち半分、言い訳半分。と言った表情。
 「リースはレアラさんを守らなきゃ駄目だったでしょう? 何のための依頼よ」
 「確かにそうだけど……」
 「それにね、わたしもいつまでもお荷物は嫌なの!」
 はぁ? っとリースは思わず間抜けな声を上げてしまった。お荷物とは……いや、確かに未熟者である事は否めないが、
 「別にそんな――」
 「行動で示さないと、って思ったの。わたしも少しずつ成長してるんだって。自分に言い聞かせる意味でも、ね」
 言って、シズクは瞳をふっと伏せた。そういう表情をすると妙に大人っぽくなるから驚かされる。童顔だったり急に大人びたり、忙しいヤツである。
 「見習いだけど……魔道士として役立つ部分ってあると思うのよ。でもまぁ、無茶した事は謝るよ。ごめんなさい」
 ぺこりと、申し訳なさそうに頭を下げるシズクを目の前に、リースはというとぽかんと間抜けに口を半開きにして立っていた。別に呆れているわけでも、放心しているわけでもない。
 何も考えていない人間とまでは思っていなかったが、シズクが、こんな風に一つの事を深く考えているというのは正直意外だったからだ。
 シズクの魔道士としての役割。
 ……そんなもの、とうに皆実感しているだろうに。
 それに、魔道士としての能力以上に、シズクという人間が皆にもたらしたものは大きいはずだ。

 (成長してるよ、お前は)

 ぽつりと小声でそう漏らす。本当に小声。きっとシズクには聞こえていない。
 「ん? 何か言った?」
 案の定シズクには届かなかったらしい。彼女は青い瞳を不思議そうにリースへと向ける。
 「何でもない、それよりも、だ」
 特に感情を込めずに端的にそれだけ言うと、話をはぐらかす意味でも、リースは次なる話題をシズクに持ちかけた。シズクはまだ少し納得が行っていないようだったが、
 「何故闇の『精霊』なんかが実体化する? 何故レアラさんを狙った?」
 リースの出した言葉の内容に、表情を一気に引き締める。両者の間に、しばしの沈黙が降りた。
 夜中の街道は相変わらず静かだ。先ほどの事件の事もあって、今日は別ルートで帰路についているのだが、そもそもこんな夜中に外へ出る人間が居ないのだ。どこであっても、この時間の街道には沈黙が立ち込めている。
 沈黙をやんわりと裂いたのはシズクだった。
 「何故かはわたしにも分からない。でも――」
 「でも?」
 「リアラさんが関わっている――そう思うの」



BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **