追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

12.

 ゆっくりと一回、深呼吸をする。そして目の前の鏡に映る自分を真っ直ぐから見つめる。
 本番直前の、特有の緊張感が体を満たし始めたのだ。あと十数分もすれば、自分はあの光り輝くステージの上に立つ。ほぼ毎日のようにステージには上がっているが、今日は、いつもと重みが違う。自分が今日演じる役は、この劇の主役中の主役なのだから。
 鏡の中の自分に喝を入れたのと同時に楽屋の扉がノックされる。入ってきたのはイアンともう一人、センティロメダの恋人であるヘテトロの役者、ケインだ。両者共に既に舞台に上がる準備は万端だった。各々舞台用の化粧を施し、きらびやかな衣装に身を包む。
 「ベス、そろそろ出番だぜ」
 衣装とは裏腹な軽い口調でケインがこちらへ歩み寄る。彼はふーんと小さく呟くと、ベスの姿をまじまじと見つめ始めた。
 「久々に見たよ。お前のその格好。レアラとタイプは違うけど、十分様になってるじゃねーか」
 「当たり前よ。あの子がくるまで私がこの役を演じていたのよ?」
 ケインのからかいを、ベスは鼻を鳴らしてあしらう。おぉ怖。と彼は潔く身を引いた。
 「ベス……本当に任せてしまって良いのかい?」
 そんな二人のやりとりを見ていたイアンだったが、おずおずと歩み寄ってくると、申し訳なさそうにベスの方を見た。ベスが今から扮する役、すなわち歌劇『白銀のセンティロメダ』の主役、センティロメダ姫の代役を引き受けた事に対して、まだ遠慮があるようだ。本当にこの男は。とベスは胸中で思う。
 今ベスが身にまとっている衣装は、センティロメダ姫の衣装なのだ。銀色を基調とした淡い色の清楚なドレス。ベスの髪の色は金なので、銀髪のかつらをかぶっていた。メイクも派手さは極力押し殺すよう気を配った。自分は今から、月の化身ともいえる純粋な姫君になるのだから。
 本来センティロメダを演じるはずのレアラがリアラを探しに出て行ったきり戻ってこない。だが本番は目前に差し迫っている。この状況に最悪休演、という事態にまで発展しかけたが、他ならぬベス自身がセンティロメダ姫役の代役をかって出たのだ。もともとレアラが演じる以前はベスが演じていた役だ。多少ブランクは否めないが、演じれる。そう断言した。
 「私を誰だと思っているの? 劇団青い星のスター女優よ?」
 「君の力は重々承知だよ。でも……」
 「あーもう! 情け無いわね!! それでも高慢で嫉妬深いエルリック王子役なの!?」
 ベスの剣幕に、イアンは少なからずたじろぐ。その隣で、ケインはというと苦笑いをかみ殺していた。
 「こんな状況だから言うけどね、私にとって『センティロメダ』は一種の夢なの、目標なの。いつか必ず、実力でレアラからこの座を取り返そうと磨きをかけてきたのよ。だからね、台詞も歌も完璧って訳!」
 そこまで言って、ベスは突然黙り込んだ。ふっと瞳を伏せると、物思いにふける様な表情を浮かべる。
 楽屋の中は、今までとは打って変わって、急に静かになった。たじろいでいたイアンも、苦笑いをかみ殺していたケインも、両者真顔でベスに対峙する。彼女がこんな表情をするのを、長年一緒に芝居をやってきた彼らですら見たことが無かったからだ。
 「……ベス?」
 「もちろん、レアラに匹敵するような演技なんて、今の私では無理よ。あの子は凄いもの」
 それは自分が一番よく知っている。文句の付け所が無いほど、レアラのセンティロメダは完璧なのだ。こう演じたい。とベスが夢見るセンティロメダの姿を、レアラはそっくりそのまま再現してしまう。仮にセンティロメダが実在していたとしたら、彼女はその生まれ変わりだと本気で思うくらいだ。
 「ホント言うと、こんな形で願いが叶うのはしゃくだけど。それも今日限り。明日からはまた、レアラ・フラールがセンティロメダよ。そして私は、明日からもそれを追うの」
 伏せていた瞳を力強く耀かせると、満面の笑みで、ベスは言った。虚勢でも嘘でもない。これは本心からの言葉だ。今はまだ遠い、だけどいつかは隣に並べるようになってやる。そのために自分はまた、自分磨きに励むのだろう。
 「明日からはまた、か。そうだな……そうなると良いな」
 イアンは、ベスのその言葉に柔らかく微笑むが、直後にはそう言って表情を曇らせた。対するベスとケインは彼の突然の変化に首を傾げてしまう。
 「考えすぎだと良いんだけど……」
 「何か気になる事でもあるのか?」
 渋い顔のイアンに向かって、ケインが尋ねる。イアンはしばらく黙ったままで考え事をしている様子だったが、やがてこう切り出した。
 「リアラのあの置手紙に『かの嫉妬に燃え狂った王子のような最期が、私に用意された道』っていう下りがあっただろう? それってさ、白銀のセンティロメダのエルリック王子の事だよね?」
 「エルリック王子……」
 鸚鵡返しのようにそう呟きながら、ベスは考えた。エルリック王子。それは、白銀のセンティロメダにおける恋敵。姫の命とヘテトロの命を結果的に奪ってしまった哀れな王子の名だ。他でもない、現在公開中の劇でイアンが扮している役である。
 「現代版の劇や本ではさ、センティロメダとヘテトロが絶命した瞬間で物語が幕を閉じるんだけど、あの話、実は続きがあるんだ」
 「あぁ、それなら俺も知ってる。二人が死んだ後の事だろ? 確かその後ってエルリック王子が――」
 「――――!?」
 ケインがそこまで言葉を紡いだ瞬間、ケインとベスは同時に硬直した。共に同じ答えに行き着いてしまったからだろう。
 初期の『白銀のセンティロメダ』では語られている王子のその後。知っている人は意外と少ないだろうと思う。二人の命を奪ってしまった事に気付いたエルリック王子は……

 「狂い泣きしながら、自ら命を絶つんだ」

 イアンの深刻そうな声が、楽屋に響き渡った。



◇◆◇



 「――あん時のお前らか」
 こちらと目があった途端、開口一番に男の一人はそう言った。
 男はそれきり黙り込むと、リース達と向き合うような形になって座る。他の二人も彼にならって静かに椅子に腰掛けた。
 三人の男達は皆強面だったが、あの時のような覇気はもう感じられない。その事にリースはまず驚いた。ぱっと見ただけでは、彼らがあの夜にあんな事をしたとは思えないのだ。
 ――あの夜。
 レアラと初めて出会った夜だ。
 今目の前に座る三人の男達は、あの夜にレアラを襲っていたゴロツキ共なのだ。場所は魔法連支部の容疑者や囚人との対面室だった。
 あの日、レアラを襲った男達を眠らせたリース達は、直ぐさまジュリアーノの役人に彼らを突き出した。しばらくの間は彼らは役所の独房で取り調べを受けていたそうだが、事件に魔法が絡むとみた役人達によって最近、魔法連支部に引き渡されたらしい。
 突然のリアラ失踪事件の直後、急に押しかけたにも関わらず、魔法連支部の役人はすんなりと対応してくれた。細かい手続きは後回しにして、すぐに男達と引き合わせてくれたのだ。
 今ここで事情聴取を受けているはずのセイラの権力が、少なからず発揮された結果だろうな。とリースは思う。

 「――あの娘さんには、本当に申し訳ねぇ事をしたと思ってる」
 しばしの沈黙の後、男の一人がぽつりと零した。見ると、彼は両の拳をかたく握りしめ、眉間にしわをよせて沈痛な面持ちをしている。他の二人にしても同じだった。三人が三人とも、それぞれ沈んだ表情を浮かべているのだ。
 この光景に、事前に事情をきいているにも関わらず、リースは唖然とした。あの晩あれほど凶暴だった男の口から出る言葉とは、とてもじゃないが思えなかったからだ。
 ――レアラを襲ったこのゴロツキ共、正体はジュリアーノの工夫達だった。驚いたことに、あの晩何故レアラを襲う気になってしまったのか、彼ら自身まるで分からないらしいのだ。記憶喪失と言ってもいいくらい、事件の記憶は男達の頭から綺麗さっぱり抜け落ちている。
 記憶の抜け方が、魔法で記憶に影響を与えたときのそれに良く似ている事から、役人達は事件の裏に魔法が絡んでいるとにらんだのだった。十中八九、それは正解なのだとリース自身思う。
 「ひょっとしたらあんた達の罪を軽くする事が出来るかも知れない。レアラさんを襲う前の事で、覚えている事を何でもいいから、教えて欲しい」
 リースの言葉に、男達は神妙な面持ちで頷くと、
 「……あの晩、俺らは長いこと続いてた仕事が一つ片付いて、その勢いで飲み騒いでいたんだ」
 真ん中の男が話し始める。ひどくぼんやりとした口調だった。
 霧の濃い晩だったらしい。月は厚い雲に覆われ、男達が帰り道に選んだ道は暗闇に支配されていた。夜はそれほど深くない時間帯だったのに、その日のその道には、寒気がするくらいに自分達以外の生き物の気配は無かったそうだ。
 「普通だったら退き返して、もっと大きな通りを選ぶんだが、あの日は生憎三人とも酔っ払って気が大きくなってた。だからそのまま、その道を突き進んだ訳さ。そうしたらそこで不思議なヤツに出会ってさ。それっきりだよ。気付いたらあんたらに取り押さえられてた」
 今度は一番右の男が言う。自嘲気味に笑うと、何故あんな事したのか……。と独り言を零し、大きなため息をつく。
 「不思議なヤツ?」
 気になる言葉を捕らえて、隣に座るシズクが言った。リースも引っかかった単語だ。
 彼女の言葉に、男達は互いの顔を見合ったが、やがて3人を代表して、真ん中の男が口を開く。
 「あぁ、変なヤツだよ。正確に言うと女だったかな。フードを目深に被っていて表情は見えなかったが、声は確かに女のものだった」
 「酔っ払いながら歩いてる俺らの前で、横道からふらりと現れたんだよ。道に迷ってる風だったから、俺らはそいつに近寄っていった。……酔ってたから、少し馴れ馴れしかったかもしれねえけどな」
 「そしたらよ。女は捜し人が居るって言い始めた。その人は、自分と全く瓜二つの顔をした人で、自分と同じ髪と瞳の色を持つんだって言うんだ」
 「瓜二つ……」
 それを聞いて、あの銀の髪を持つ双子の姉妹を思い出してしまう。隣を見ると、シズクもまさに同じ事を考えたらしい。真剣な蒼い瞳と視線がぶつかる。
 口々に説明し始める男達の言葉一つ一つに、リースは息を呑んだ。どうしてもっと早く、彼らに事情を聞きに来なかったのだろうと思う。彼らの話からは、今までになく様々な情報が隠れているではないか。レアラを護衛する事ばかりに、自分達は囚われすぎていたのだ。
 「それで……その人の顔は見たの?」
 シズクの問いに、三人の男達は皆難しい顔を作る。
 「見たには見たけど……記憶が曖昧でなぁ。細部までは」
 「覚えている限りでいいんだ。特徴とかはなかったのか?」
 特徴っていってもなぁ。と呟くと、男達は腕を組んでうんうん唸り始めてしまう。
 なんでも、その女は自らフードを外し、男たちに顔を晒したらしいのだ。だったら女の顔を全員が覚えていてもおかしくないのだろうが、その人物の顔を見た瞬間、視界が突然暗くなりそれ以降の記憶が消えてしまったらしい。
 「そうだな……髪。髪は確か、優しい色だった。キラキラしてて……」
 記憶を手繰り寄せるように、視線をやや上に向けながら男のうちの一人が呟いた。
 「あぁそうだ。――銀色だ」
 (――――)
 銀色。月の加護を受けた、センティロメダの色。
 自分でもその色を聞いただけで、レアラ達と結び付けてしまう事をなんて単純なんだ、と思う。銀色は珍しいが、この世界で、彼女達だけが銀の髪を持つ人間という訳ではないのに。
 しかし――禍々しい気配の立ち込める夜の街道。それは、昨日リース達が闇人形に襲われた場所の状況と酷く酷似する。そこで出会った不思議な銀髪の女。それは――
 「なぁ。その女と出会った街道って、どこの街路だ?」
 背中に冷や汗が伝うのを感じながら、リースは言葉を紡ぐ。彼らの表情の変化の理由を、目の前にいるこの3人の男達は知らないだろう。想像すらつかないかも知れない。
 きょとんとした表情で男達は互いの顔を見合わせると、ゆっくりと口を開いた。
 「簡単だよ。あそこさ。お前らが俺らを取り押さえたあの通り。お前らとやり合った場所よりは少し手前だったけどな」



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