追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

14.

 銀の軌跡が乾いた空気の中に舞った。日の光に照らされて、キラキラと優しい輝きを放つ。ぼんやりとリアラは『それ』が空中を舞う様を眺めていた。夢見るように、まどろむように。
 「……これで、あんたはセンティロメダじゃ無くなった」
 唇をゆがめて、醜く微笑む女の姿があった。緩くウェーブのかかった銀髪の女。もう一人のリアラだ。その華奢な右手には、鋭利なナイフが握られていた。
 その横で、倒れこむ女性の姿が目に入る。リアラのかけがえの無い肉親である姉、レアラ。実力派ぞろいの劇団『青い星』の白銀のセンティロメダを演じるその人。だが……豊かな流れを作っていた銀髪は、醜く微笑むこの女によって、今しがた短く刈り取られてしまった。二人の周囲は、力なく地面に落ちるレアラの銀髪でキラキラと光り輝いていた。
 自分は夢を見ているのだろうか。銀色に輝く舞台で演じられる悲劇を見ているような気分だった。倒れこむ姉の傍らには、自分と瓜二つの女の姿。――いや、あれは『私』だ。
 「ね、姉さん!!」
 「来ないで!!」
 レアラの元へ走りよろうとしたリアラを、もう一人のリアラは大声で叫ぶことで制止させた。そうしてナイフをレアラに突きつけると、醜く歪む顔をさらに歪めて、鬼のような形相になる。自分はこんな表情が出来るのか。これが自分の『心』なのだろうか。
 「あなたが望んだ事でしょう?」
 「違う! 私は――」
 「あなたはこの女に、センティロメダなんかやって欲しくなかった!」
 ひときわ大きくかかった怒号に、リアラは動きを完全に止める。そうして戸惑いのこもった目で目の前の女を見つめた。もう一人のリアラは、このときにはもう、今にも泣き出しそうな顔をして、訴えかけるようにこちらを見ている。先ほどまでの醜悪な形相など、既にそこには無かった。今はただ、助けを求めるように――
 「あなたは姉に、輝いて欲しくなんて無かった。これ以上自分を惨めにして欲しくはなかった。違う?」
 「それは……」
 「病弱な自分に献身的に構われるほど苦しくなった。いっその事病の末に死んでしまえたらいいのに、と何度も思った」
 全て本当のことだった。
 「だけどねリアラ。この女はあなたを裏切っていたのよ? あなたの大きな『可能性』に気づいていたの。自分より輝ける可能性を秘めている事を知っていたの。それを知っていたのに、自分より輝かれるのが嫌で、この女はあなたに『その事実』を教えなかった。かわいそうなリアラ……私達はいつも、そんなあなたを見て心を痛めていた。だからあなたの願いをかなえてあげたくて、私はこうしてここに存在するの。この女さえ殺せば、あなたは解放されるんだから!」
 「違う!」
 今度はリアラが怒鳴る番だった。鋭い声で目の前の女を睨み付ける。
 「私は……私は……」
 私が本当に望んでいた事は、こんな事ではないはずだ。本当に欲しかったものは――

 「リアラ――」

 澄んだ声が、緊迫した空気に紛れ込んできた。
 それまでずっと黙していたレアラが、ここにきてやっと顔を上げたのだ。美しかった銀髪は切られ、随分雰囲気は変わってしまっていたが、姉は姉だった。優しく輝く、白銀のセンティロメダ。ナイフに怯む事なく、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
 「ごめんね。本当にごめんなさい……」
 レアラは、儚げな色を宿した瞳から涙を流し、そう言った。対するリアラとしては、何故姉が自分に泣いて謝るのか、理解できなかった。謝るのはむしろ、自分の方だろうに。
 だが、困惑気味のリアラの前で、レアラは更に言葉を続ける。
 「全部この子の言うとおり。私はあなたを、『私』という鳥かごの中に閉じ込めていただけね」
 「姉さん……?」
 「私が悪いの。だからきっと、これはその報いね――」
 そう言って淡く微笑むと、レアラは今度は隣に居るもう一人のリアラの方を向いた。もう一人のリアラは、レアラの視線を受けて、怯んだようだった。身を縮ませると、困惑を露にする。
 「そんな目で見ないで」
 レアラの髪を刈り取ったナイフを持つ右手は、今は震えてしまっていた。それでもレアラはもう一人のリアラを見つめ続ける。
 「そんな綺麗な目で見ないで! あんたはもう、センティロメダなんかじゃな――」
 「センティロメダなんかじゃなかったわ。最初から」
 今度のレアラの声は、澄んではいなかった。むしろ少し、自嘲気味に暗さを含む。ふっと、疲れたように微笑むと彼女は瞳を伏せる。それは、病弱の自分に苦悩し、自嘲するリアラの表情に、恐ろしいほどそっくりだった。
 「センティロメダみたいに純粋な人になりたかった。彼女を演じている間だけは、自分はそうなれているような気がしていた。……でもね、私は『人間』なの。物語の登場人物とは違う。怒りもすれば悲しみもする。他人の良いところを目の当たりにして嫉妬もする。そう、むしろ私はセンティロメダとヘテトロを死に追いやった――エルリック王子ね」
 どきんと胸が鳴った。怒りも嫉妬もする。そう言った姉の言葉が、リアラにはにわかに信じられなかったのだ。
 姉は、姉自身の事に関しては周囲が心配するくらい気にかけない人だった。そのくせ妹のリアラに対しては、周囲が驚くほど献身的だった。
 リアラを生かすためなら、どんな過酷な労働も明るく受け入れる。そんな強さを見せる人だった。辛さをリアラにぶつけたりは決してしない。病弱でろくに働くことも出来ないリアラなのに、そのリアラに罵声を浴びせる事なんて、今の今まで一度だってありはしなかった。リアラの目にそんな彼女の姿は完璧に映ったのだ。
 そんな姉が、嫉妬の鬼と化したエルリック王子に自らを例える事などあり得ない話だ。自分と全く同じことを考えているなんて、そんな事――
 「意外?」
 今度はリアラのほうを向きながら、悲しそうにレアラは言った。
 「でもねリアラ、全部本当の事。私はね、あなたを自分の側に置いておきたかった。あなたが隣で生きてくれている。それが、私が生きているという『証』だったの。だから私は……あなたを大きく裏切った」
 「裏切る?」
 意味が分からない。姉が自分を裏切った事など、今まで一度だって有りはしない。仮に裏切られていたら、その時点で自分は生きていないだろうから。
 「リアラ。あなたが知らない事。だけど、あなたにとってとても大きな事よ! この女は、みじめで守られないと生きていけないあなたを側に置きたいがために、知っていながらそれを隠蔽したの!」
 一際鋭い声でそう叫ぶと、もう一人のリアラは恐ろしい形相を取り戻し、再びレアラにナイフを突きつけた。今度は片手でレアラの頭を押さえにかかる。それをレアラは力なく受け止めていた。
 対するリアラは、ますます訳が分からなくなってしまっていた。
 (隠蔽? 裏切り?)
 自分には何も分からない。そんな事、知りたくない。知らなくてもかまわない。
 今はただ、姉を――レアラを失いたくない。
 「姉さん! 私――」

 「罰を受けるのは、リアラではなく、私。私には、かの王子のような無残な最期が最も相応しい――」

 まるで、舞台上で台詞を発するような調子で言って、レアラはもう一人のリアラの手を取り、ナイフを自らの喉元へと向ける。突然の行動にもう一人のリアラは驚いたようだった。手の力は抜け、ナイフを完全にレアラの元へと渡してしまう。その様子に安心したようにレアラは微笑み、大きく息を吐くと……ゆっくり瞳を閉じた。そうして手を――

 「姉さんやめて!」

 そう叫んだときだった。激しい風が、周囲に吹き荒れたのだ。
 「――――!?」
 あまりの風勢にリアラは思わず目を瞑り身をすくめた。自分自身を風に持っていかれそうになる。だが、姉の事が気がかりだった。フラフラとよろめきながらも前進し、「姉さん姉さん」とうわ言のように叫び散らした。涙が出るのは、風のせいではないだろう。
 自然に起こる風で無いことは本能的に分かった。こんなよく晴れた昼間に、しかも町の街路で台風のような風が起こるはずがないのだ。それに――『声』が聞こえたのだ。
 『居なくならないで』、と。

 「――エルリック王子は自ら死を選んだりなんてしていないよ」

 急に風が止むと、聞こえてきたのはそんな言葉だった。それまでこの場には無かった声だ。程よく低い、テノール。聞き覚えがある。
 「初版の『白銀のセンティロメダ』では確かに、王子は狂い笑いながら剣を自らの喉に突き立てた。それは、著者であるゼルムラーク卿の当時の心情だったはずだ」
 「……リースさん」
 目の前に居たのは、レアラの護衛をしていた剣士、リースだった。いつの間にか彼は、レアラともう一人のリアラの間に割って入り、レアラが自らの喉に突き立てようとしていたナイフを奪い取っていた。
 「妻を自らの欲の犠牲にしてしまった彼は、最初は死のうとしたんだ。でも、ゼルムラーク卿は自殺したりはしなかった。死をもってでは、自らの罪は消えないって事が分かったからだ。罪を背負いながら生き抜く事で、妻に報いようとしたんだよ」
 「うるさい!!」
 言ってリースに飛び掛ったのは、もう一人のリアラだった。いつの間に用意したのだろう。その手には新たなナイフが握られている。
 リースは女の攻撃を難なく自身が持つナイフで受け止めると、そのまま受け流す。そして、後方に一旦下がるもう一人のリアラを睨みながら、リースは更に言う。
 「だから2版以降の王子は、自殺していない。書き換えられたんだよ。ゼルムラーク卿と同じく、自らの罪を背負い、苦しくても生きていくんだ。……あんたら姉妹も、死ぬなんて事を軽々しく言わず、とっとと仲直りしたらどうだ?」
 「うるさいって言ってるでしょう!」
 またもや飛び掛ってくるもう一人のリアラのナイフは、リースに届く前にリアラの後方から飛んできた『何か』によって弾き飛ばされた。ナイフは女の手から離れ、宙を舞って飛んでいく。
 「リアラさん!」
 また別の声がかかった。よく通る少女の声。振り返り確認すると、こちらに駆けてくる魔道士の少女の姿がある。
 「シズクさん……」
 女のナイフを弾き飛ばしたのは、彼女の魔法だろう。おそらく、先ほどの暴風も。
 シズクはリアラに駆け寄ると、彼女の肩を抱いてゆっくり立たせてくれた。たくさんの事が起こりすぎたショックで膝が笑ってしまう。うまく立てなかったが、それをシズクは支えてくれていた。リアラはまっすぐに目の前を見る。姉を殺そうとしていた、もう一人の自分の姿を。
 「リアラさん、『あれ』はあなたじゃない。あなたの心でもない。あなたに関するものなど何も含んでいない……でも、あなたの心を過剰に感じ取ってしまった悲しい『存在』です」
 「え――」
 (悲しい存在?)
 シズクの宣告を聞いて、リアラの思考は一時停止する。
 もう一人のリアラと思われた『存在』は、急におとなしくなると、今にも泣き出しそうな瞳でこちらを、リアラを見つめていた。親にすがりつく子どものように、何かを求める顔をして。さきほどから何度か見せていた表情だ。
 「リアラさんは、原因不明の虚弱体質だったんじゃないですか? 身体的には何の問題も無い。でも、よく熱でうなされたり、息苦しくなったりする」
 「なんでそれを!」
 どきりとしてリアラはシズクを振り返った。飛び込んできたのは、驚くほどに澄んだ青い瞳。不思議な色だった。優しく心に染み込んでいくような。安らぎをくれる瞳。
 シズクが言った事は、全て当たっていることだった。リアラは生まれつき病弱だった。だが、身体は健康体なのだ。症状が出ていない時は、姉のレアラとなんら変わらない子どもだったのだ。
 「…………」
 「人は感情が高まったとき、周囲にエネルギーのようなものを放出する。一人ひとりの放つエネルギーは微量だけど、極稀に、それが驚くほど強力な人間が生まれるんです。そうしてその人は、そのエネルギーが余りに大きいものだから自分の体に大きな影響を与えてしまう。影響を与える元になるのはそう、大気に満ちる『精霊』」
 「せい……れい?」
 リアラの言葉に、シズクは真剣な表情で頷いた。そうして彼女はリアラから視線を外して、前方を見る。
 つられてリアラもシズクの視線を追った。視線の先にはリースと姉の姿。そしてリースと対峙するリアラそっくりの『存在』が居た。鬼のような形相で襲い掛かったと思ったら、次の瞬間には泣きじゃくる子どものような顔をする。感情の起伏が激しい、リアラの心を感じ取って出てきてしまった悲しい存在。――精霊。
 「あれは、あなたの暗い感情を吸い取って出てきてしまったもの。魔法を使えば消すことは出来ます。でも、それは所詮はその場しのぎでしかない。リアラさん、あなたが解放してあげないと。またいくつもいくつもあれは出てきてしまう」
 「――――」
 (……あぁ、そうか)
 今やっと、理解出来た気がした。目の前で今にも大声で泣き出しそうな顔をしているこの存在が、自分に訴えかけていた事の答えが。自分が一番欲しかったもの。手に入れたくて、でも手に入れられなくて、求めて止まなかったもの。
 ――強さだ。
 強い自分。自分自身の扉を開ける両腕が、自分は欲しかったのだ。
 「…………」
 体の震えは自然と止まり、膝ももう笑わなくなった。シズクの支えを借りなくても立てるようになると、ゆっくり一歩、前に進んだ。顔を上げて『彼女』を見る。リアラと瓜二つのそれは、息を呑んだようだった。ぼんやりとその場に立ち尽くしている。

 「……ごめんなさい」

 リアラは目の前の存在へ向けて、ゆっくりと頭を下げる。
 「ずっと貴方達は、私の側に居てくれたのに。私は一人ぼっちなのだと思い込んでいた」
 両親に捨てられたあの夜、『死なないで』と必死に懇願してくれた声は、精霊達だったのだ。居なくならないで、と。愛しているから、と。聞こえるはずだった声に、耳も貸さずに自分は嘆いてばかりいたのだ。
 「でも――」
 そこで言葉を区切ると、リアラは下げていた頭を上げた。そうして、目の前の存在へ向けて満面の笑顔を送った。
 「もう嘆いたりしない。ちゃんと扉を開けるから。気づいたから。だから――『ありがとう』」

 「――――」

 その瞬間、リアラそっくりの外見を備えたそれは、すうっと空気に溶け込まれて行った。そしてその姿が完全に消えてしまうと、ふわりと緩やかな風が起こる。突然の変化に、レアラとリースはあっと声を上げた。禍々しい雰囲気が満ちていた街道は、それまでの重苦しさが嘘だったかのように閑散とした空気に変わる。去っていったのだ。解放されたのだ。
 耳をそっと撫でた、自分だけに聞こえる『声』を聞いて、リアラはやわらかく微笑んで、そして涙を一筋流した。



◇◆◇



 ――『精霊使い』という職業が世の中には存在する。
 文字通り精霊を使役する力を持った人達の総称だ。だがこの力を持つ人は、非常に稀有な存在である。一般的に少ないとされる魔道士などよりも、遥かに少ないのだ。しかも、生まれつき病弱な者がほとんどで、大人になるまで成長できる確率は格段に低い。
 周囲の精霊に与える影響が、あまりに大きいからである。精霊に愛され、精霊に影響を与える力が強すぎるあまりに、精霊の持つ魔力によって身体的にダメージを受けやすいのだ。
 だが、奇跡的に大人になるまで成長でき、周囲の精霊を操るまでに成長できた『精霊使い』は、この世界に生きる者にとって、非常に重要な存在になり得る。
 精霊の声を聞く。この能力を利用して、天候の予想から始まり、海の荒れの予想、作物の育ちやすさ、果ては天変地異の前触れまでもを予想する事が出来るからである。精霊使いが予言者とも言われる所以は、そんなところにある。



 「リアラが『精霊使い』の素質を持つ人間だって事は、今あの子を診てもらっているお医者様に出会った事で発覚したんです」
 ベッドに横たわった体勢のまま、レアラは静かに語り始める。ベッド横にシズクとリースの二人は佇んで、レアラの話に聞き入っていた。
 場所は劇場にある彼女の寝室だった。あの街道での一件後、ショックで倒れたレアラをリースがここまで運んだのだ。リアラの方も疲労がかさんだ様子で、さきほど寝室のベッドに寝かしてきたばかりだった。
 幼い頃から病弱だった妹を、レアラは様々な医者に診せたのだという。原因不明の発熱や息切れを繰り返す姿が不憫でならず、その原因さえ分かれば対処の仕方も分かると思ってのことだった。ところが、やっと原因をつきとめる医者と巡り合えたのに、突きつけられたのはレアラにとって残酷な事実だった。
 「『精霊使い』の体質は、精霊の扱い方と自身の心のコントロールの仕方を学ばなければ改善されないのだそうです。でも、精霊使いを養成する機関は少なく、大陸ではイリスピリア国にしか存在しない。しかも、そうそうすぐに身につけられるものでもないのだそうですね……。精霊との相性が悪く、上手くいかずに亡くなる方もいらっしゃるそうで――」
 「レアラさんは、リアラさんと離れたくは無かったんですね……」
 シズクのその一言に、レアラはそれまで伏せていた瞳を丸くし、しばらく沈黙する。しかしやがて、堰を切ったようにわっと泣き出した。静かな寝室に、レアラの泣きじゃくる声だけが響く。
 「……分かっていたんです。あの子にとって最善の方法は、イリスピリアに向かわせる事なんだって! でも、私はあの子に側に居てもらわないと、自分が生きているという実感さえ持てない。ずっと一緒に生きてきた、だからこれからもずっと一緒に居たいって……そう思って」
 だから医者に、この事はリアラには伝えないでおいて欲しいと頼み込んだのだそうだ。もちろん医者は大反対だった。精霊使いはこの世界の者にとって非常に重要な存在であるのだ。そんな貴重な存在を見殺しにする気か、と何度も説得された。その度にレアラの心は大きく揺れたが、リアラを側においておきたいという気持ちのほうが最終的に大きかった。自分の欲望を優先してしまったのだ。
 「ご覧になったと思いますが、あの薬は魔力の解毒薬のようなものです。正式には薬ではなく、マジックアイテムの部類に属します。対症療法でしかありませんが、苦しみは減らせると。お医者様から教わった方法です」
 シズクの予想が正しければ、あの粉は結界を解除する時などに使われる弱い除魔力の粉だ。普段は人に対して使用されることは無いが、リアラのように、精霊からの魔力を受けやすい人間にとっては解毒薬のようなものになる。
 精霊の引き起こす症状にリアラがうなされる度に、レアラは街中までこの薬を買いに走ったのだろう。本来ならマジックショップくらいにしか置いていない代物だ。おそらく特別に発注してもらっていたのだろう。そこまでしてでも、レアラはリアラを側に留めておきたかったのだ。
 だが、リアラ自身は自然と彼女自身の扉に手をかけ始めていた。
 「……リアラさんは、おそらく何も知らなかったと思いますが、精霊の扱い方は自然と身に着けていっていたみたいですね」
 「え?」
 シズクの言葉に、レアラは一旦泣くのをやめたようだった。真っ赤な顔に意外そうな色を浮かべると、こちらを見つめてくる。泣き声の去った部屋は、奇妙なほどに静まり返った。その沈黙を、シズクはやんわりと裂いていく。
 「ここ最近のリアラさんの発熱は精霊の暴走ではなく、彼女の意志に基づいて起きていました。悪く言うと仮病です。リアラさんは、完璧とはいえないけれど、精霊を操る術を身につけ始めていたんですよ。彼女自身はたぶん、特殊能力か何かくらいの認識だったと思いますが」
 「……それじゃぁ」
 「えぇ、あなたがどれだけリアラさんを『精霊使い』の道から外そうとしても、リアラさんは自然とその道を自らの手で開こうとしていたんです」
 きっと、姉であるレアラを守るために。姉を助けられる力が欲しいと、あれだけ渇望していた彼女だったから。
 それを聞いたレアラは、再び涙を流し始めた。今度は声を上げたりはしなかった。静かに、耐え忍ぶように。その様子は、どこか、覚悟を決めるようでもあった。
 「レアラさん……あの、この事はリアラさんには……」
 「伝えます、私から。もうお互い大人ですものね。それぞれの道を、自分ひとりで切り開いていかなければいけない時が来ているのだわ」
 涙とおえつに埋もれながら、苦しそうにレアラが言った。白銀のセンティロメダだと思われていたレアラは、実は一番エルリック王子に近い人間だったのかもしれない。心の中でシズクは、そんな事を考えていた。



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